2018年5月20日日曜日

金襴緞子解くやうに河からあがる(吉村鞠子)

「LOTUS」38号が届いた。昨年7月に亡くなった吉村鞠子の追悼号である。もう10ヶ月も経ったのか。

吉村の第一句集『手毬唄』(2014年7月)が出たとき、この時評でも感想を書いたことがある(2014年8月15日)。「LOTUS」の追悼号は「吉村鞠子を送る(追悼文・追悼句)」「吉村鞠子四百句」のほか吉村の俳句作品についての批評が数編収録されていて、今まで知らなかったこともいろいろ書かれていた。

飲食のあと戦争を見る海を見る   吉村鞠子

田中亜美の追悼文で、この句が現俳協青年部の勉強会「新・題詠トライアル―俳句と川柳の発想の差を探る」(2004年9月)で詠まれた句だということを知った。題は「飲む」。「飲食」は「いんしょく」ではなくて「おんじき」だという。だとすると仏教用語であり、供物やお盆のイメージと重なってくる。

吉村とは数回しか会ったことがないが、その存在を気にかけている俳人のひとりだった。
2006年10月、攝津幸彦没後10年の大南風忌のあとだったか、新宿のジャズ喫茶「サムライ」に行ったことがある。著名な俳人たちのなかで私は片隅で小さくなっていたが、その場には吉村鞠子や田中亜美もいたような気がする。
2009年12月の『新撰21』の祝賀会のときにも吉村に会った。『新撰21』に吉村が入集していないことを私は残念に思っていたが、2014年に句集『手毬唄』が刊行されて不満が解消された気がした。
吉村の俳句についてはよく三橋鷹女→中村苑子→吉村鞠子という系譜が語られる。句集を読んでいてもそのことは自然に意識される。

老いながら椿となって踊りけり     三橋鷹女
屠所遠く踊り惚けて寒椿        吉村鞠子

三宅やよいの作品評「鷹女、苑子、毬子 吉村鞠子句集『手毬唄』を読む」でも三句が並べて引用されている。

春水のそこひは見えず櫛沈め      鷹女
落ちざまに野に立つ櫛や揚げ雲雀    苑子
鳥影や朱夏の地に落つ水櫛や      鞠子

三宅には『鷹女への旅』(創風社出版)という鷹女論もある。
また、三枝桂子は「毬の中のもう一つの系譜」の中で女流の系譜のほかに、富澤赤黄男→高柳重信→高原耕治という多行俳句の系譜があるのではあないかと述べている。
ただ、今度『手毬唄』を読み直してみて、そういう系譜を意識しなくてもよい句の前で立ち止まることがあった。

無花果もこの馬も回遊しない      吉村鞠子
溢れる尾 夜光虫でも海彦でもない
遠近の水冴えゆかむ 鹿とゐた
耳鳴りも海鳴りも脱ぎ蟲の世へ
夜の梅 ゆつくりと真水に還る
釣人までの紫陽花を漕ぎゆかむ
どの神も海を一枚づつ剝がす
鳥よ 仮の世の虹も半円なのか

「LOTUS」には句集『手毬唄』以後(2014年~2017年)の句も収録されているが、句集の完成度が高かったので、なかなかそこから次へ進むのは難しかったのだろうと感じさせる。
『手毬唄』には吉村の書いた「景色」という文章が収録されている(初出「LOTUS」25号)。「吉村さんは、お若いのに恋句を書かないわね」という恩師の言葉に触れて、彼女はこんなふうに書いている。

「恋人と竹林の囁きを聴いていたことがある。晩夏の海で手を繋ぎ、黄落の路を歩き、凩に身を寄せ合う。一喜一憂する思いを俳句にするにはやはり短いということもあるが、その一時は、また五感を刺戟する自然という環境の元に存在する。恋しているからこそ、自然の景色がより鮮明に奏でられる作用はあるが、私は、その景色の記憶を記すことだけに懸命なので、恋句にならないのであろう。その時々の句、たとえば竹林の葉擦れの音や風の匂いは、確かに今も呼び戻せるのだが、相手の顔は、時間経過と共に薄れてゆく。それもまた俳句という形式を借りて描いているからであろうか」

金襴緞子解くやうに河からあがる     吉村鞠子

『手毬唄』には吉村鞠子の俳句形式を通した実存と文学的営為が込められている。大切にしたい句集である。

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