2018年2月9日金曜日

水にだって闇はある―八上桐子句集『hibi』

八上桐子の第一句集『hibi』(港の人)が発行された。
八上の作品は今までも「川柳ねじまき」などで読んでいるし、句会や川柳のイベントでときどき顔をあわせることもあるが、ようやく句集というまとまったかたちで彼女の作品を読むことができるようになった。
句集のプロフィールによると、八上は2004年「時実新子の川柳大学」入会。2007年終刊まで会員。以後、無所属、とある。結社や川柳グループに所属せずに、独自の存在感を示して川柳を続けるのは、それほど簡単なことではない。
2016年、八上は葉ね文庫の壁に針金アートの升田学とのコラボを展示した。新生「guca」にも紹介されているように、葉ね壁は牛隆佑のプロデュースによるアートと短詩作品の共同制作で、ときどき展示替えがある。八上の作品「有馬湯女」は腰紐に句を書いて垂らしておくという斬新なものだった。仄聞するところによると、そのときのトーク・イベントで句集の発行を望むリクエストに対して八上は前向きに応えたということだ。葉ね壁が句集上梓への契機となったのである。
八上には「本」というものに対するこだわりがある。フリーペーパーの場合でも、以前発行されていた「Senryu So」や現在発行されている「THANATOS」など、けっこう凝ったものである。活字に対するこだわりもあって、活版印刷でないと嫌だという発言を聞いたことがある。今回の句集は残念ながら活版ではなかったようだが、鎌倉の「港の人」まで出向いて装丁のプランを話し合ったというだけあって、美しい本に仕上がっている。
では、句集の収録作品について述べていこう。
全体は六章に分かれ、各章が28句ずつ、最後の章だけが32句、全部で172句が収録されている。厳選である。
読んでゆくと作者の愛用する語が繰り返し出てくるのに気づく。最も目につくのが「水」である。それは巻頭句からすでにはじまっている。

降りてゆく水の匂いになってゆく     
呼べばしばらく水に浮かんでいる名前
鳥の声になるまで水を見てなさい
水を 夜をうすめる水をください
散歩する水には映らない人と
もう夜を寝かしつけたのかしら水

愛用語というのは諸刃の刃である。自分の世界を適切に表現できると同時にマンネリズムに陥る危険をはらんでいる。けれども、この句集のおける「水」が読者を飽きさせないだけの実質をもっているのは作者の実力なのだろう。
「川」「海」「雨」など、「水」関係の句はさらに多様に展開してゆく。

少年の1人は川を読んでいる     
そうか川もしずかな獣だったのか
川沿いに来るえんとつの頃のこと
青がまた深まる画素の粗い海

「水」の句はこれまでにもたくさん書かれてきた。たとえば、畑美樹。

こんにちはと水の輪をわたされる    畑美樹
体内の水を揺らさず立ちあがる
逢うまでの水をこぼして歩いている
一本の水を買う正確な姿勢

畑美樹の場合、水は体内水位であったり恋愛感情の揺れであったり、水を中心とする世界認識であったりする。水は作者の「私性」と結びついている。
八上の場合、水は二律背反的な意味をもった存在である。それは「水」とペアになる「闇」や「夜」によって示される。

おひとりさまですかと闇に通される 
踵やら肘やら夜の裂け目から
くちびると闇の間がいいんだよ
向き合ってきれいに鳥を食べる夜

清浄な水の世界は背後に闇をかかえることによって屈折したものになる。水は闇を中和する存在でもあるし、水の背後にちらりと見える闇は、日常を破綻させないように適度にコントロールされている。
「hibi」というタイトルは最初「日々」かと思ったが、「罅」かもしれない。日常の中に入った微かな罅を八上は静かに見つめているのだろう。
あと、いいなと思った句を挙げておく。

雲の流れてインディアンの口承詩
冷蔵庫だけが大きな家でした
歩いたことないリカちゃんのふくらはぎ
その手がしなかったかもしれないこと
まばたきをするたび舟が消えている
くるうほど凪いで一枚のガラス

栞は、なかはられいこ・正岡豊・小津夜景の三人が書いている。
句集「hibi」は葉ね文庫だけではなく、東京・大阪・神戸のいくつかの書店にも置かれている。通販でも手に入る。従来、川柳句集は上梓するだけで精一杯で、本としての美しさや読者に届けるための販路まで手がまわらなかった。無所属というスタイルも含めて、八上桐子はひとつの道を切り開いたということができる。

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