2017年12月22日金曜日

諸誌逍遥(2) ― 11月・12月の川柳・短歌・俳句

ビル、がく、ずれて、ゆくな、ん、てきれ、いき、れ     なかはられいこ

「WE ARE!」第3号(2001年12月)に掲載された作品である。当時も話題になったが、いまこの句が再び評価されている。
「俳句界」12月号の特集「平成俳句検証」で「平成を代表する句」として筑紫磐井と橋本直の二人が取り上げているのだ。

〈9.11テロをこんな美しく衝撃的に詠んだ句はないだろう。この状況は現在も続いている。(作者は川柳作家)〉(筑紫磐井)
〈具体的には「9.11」の映像を喚起させつつ、当の言語表現をふくめ様々なものの壊れる時代そのものをあらわしているように見える〉(橋本直)

すぐれた作品は時間を超えて語り継がれるということは心強い。

「豈」60号は先週紹介したが、第4回攝津幸彦記念賞は最優秀賞なしとなったようだ。優秀賞8名と若手推薦賞3名が選ばれている。詳細は「豈」次号61号で発表される。
句集の書評もたくさん掲載されている。中村安伸『虎の餌食』を倉坂鬼一郎が、岡村知昭『然るべく』を堺谷真人が書いていて、5月にこの二冊の句評会に行ったことを思い出した。
あと、北川美美が「吉村毬子に捧げる鎮魂」の句を発表している。吉村は今年7月に急逝した。吉村の句と北側の追悼句を並べておく。

金襴緞子解くやうに河からあがる    吉村鞠子
毬の中土の嗚咽を聴いてゐた
水鳥の和音に還る手毬唄

脱ぎなさい金襴緞子重いなら      北川美美
バスを待つ鞠子がそこにゐたやうな
茅ヶ崎の方より驟雨空無限

上田真治句集『リボン』(邑書林)が刊行されて話題になっている。

中くらゐの町に一日雪降ること    上田真治
水道の鳴るほど柿の照る日かな
紅葉山から蠅が来て部屋に入る
絨毯に文鳥のゐてまだ午前
夢のやうなバナナの当り年と聞く
海鼠には心がないと想像せよ
上のとんぼ下のとんぼと入れかはる

栞は中田剛・柳本々々、依光陽子が書いている。中田は上田のリボンの句から波多野爽波の句を思い浮かべている。

リボン美しあふれるやうにほどけゆく    上田真治
冬ざるるリボンかければ贈り物       波多野爽波

柳本は「今走つてゐること夕立来さうなこと」を挙げて上田俳句を「走る俳句」ととらえている。依光は「変わらないものを変えてゆく何か」というタイトルで「世界がこんなにも予定調和から遠く豊かだったかと驚愕する」と述べている。
「里」に連載されている「成分表」は私も愛読している。日常の出来事に対する独自の見方のあとに一句が添えられていて毎回新鮮だ。
『りぼん』の「あとがき」で彼はこんなふうに書いている。

〈さいきん、俳句は「待ち合わせ」だと思っていて。
言葉があって対象があって、待ち合わせ場所は、その先だ。〉
〈いつもの店で、と言っておいてじつはぜんぜん違う店で。
あとは、ただ、感じよくだけしていたい。〉

今年の角川短歌賞は睦月都の「十七月の娘たち」が受賞した。
朝日新聞の「うたをよむ」(12月4日)の欄で服部真里子は睦月の次の歌をとりあげて、「言葉を短歌の形にするのは、宝石にカットを施すようなものだと思う」と書いている。

悲傷なきこの水曜のお終ひにクレジットカードで買ふ魚と薔薇   睦月都
きららかに下着の群れは吊るされて夢の中へも虹架かるかな

文芸別人誌「扉のない鍵」(編集人・江田浩司、北冬舎)が発行されている。同人誌ではなくて、別人誌である。江田の創刊挨拶に曰く。
「本誌は同人誌とは異質なコンセプトで集まった、[別人]三十人によって創刊された雑誌です。別人各自にジャンルの壁はありません。それは、創作の面においても同様です。また、別人同士の関係性も考慮しておりません。別人誌というコンセプトに賛同した者が集まり、相互の力を結集して作り上げる文芸誌です」
掲載作品には短歌が多いようだが、現代詩・小説・エッセイ・評論と多彩だ。特集「扉、または鍵」というテーマらしきものはあるが、それぞれ別々に好むところで表現しているのだろう。

まだ解けないままに残されなければならないように汝へ降る問い  小林久美子
當らうか 一點透視のホームへと電車擴大してくる咄嗟      堀田季何
指といふ鍵を世界に可視化せよ 蜂の巣といふ鍵穴深く      玲はる名

今年もあと残り少なくなった。
「触光」(編集発行・野沢省悟)55号、「第8回高田寄生木賞」を募集している。前回に続き「川柳に関する論文・エッセイ」について選考する。川柳界では唯一の評論賞といえる。締切は2018年1月31日。多数の応募があれば川柳の活性化につながると思う。

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