2017年9月1日金曜日

銃架ともなり得る君の肩―BL短歌・BL俳句のことなど

先日テレビでNHK短歌を見ていると、黒瀬珂瀾がBL短歌として松野志保の歌を紹介していた。興味をもったので『桜前線開架宣言』を開いてみると、次のような歌があった。

好きな色は青と緑というぼくを裏切るように真夏の生理   松野志保
もしぼくが男だったらためらわず凭れた君の肩であろうか
今はただぼくが壊れてゆくさまを少し離れて見つめていてよ
戒厳令を報じる紙面に包まれてダリアようこそぼくらの部屋へ
雑踏を見おろす真昼 銃架ともなり得る君の肩にもたれて 

最初の三首はわかりやすいと思うが、四首目はレジスタンス少年二人を軸にした連作の一首だそうだ。二首目と五首目は直接関係ないが、五首目では「君の肩」は戦争に向かいつつある社会では銃をかつぐものともなりうるという批評的な想像力も働いている。
山田航は『桜前線開架宣言』の解説でこんなふうに書いている。
「いろんな種類の美学を許容するのが現代短歌のいいところであるが、この松野志保はとりわけ異色の美学を追求する歌人だ。凜としたアルトの響きでの詠唱が聞こえてくるような中性的な文体。本人は女性であるが『ぼく』という一人称を好んで歌の中に用いており、少年同士の愛の世界を表現しようとする。いわば『ボーイズラブ短歌』のトップランナーである」
そして山田は「ボーイズラブ的」な短歌は葛原妙子や春日井建にもあったが、松野の新しさは「社会的弱者が変革を求めるときの暴力性に美のあり方を見出そうとしている点」だと言っている。
そういえば春日井建の『未成年』にはこんな歌があった。

両の眼に針射して魚を放ちやるきみを受刑に送るかたみに   春日井建
男囚のはげしき胸に抱かれて鳩はしたたる泥汗を吸ふ

獄中の友への同性の恋という設定である。胸に抱かれる鳩に同一化する恋情はとてもエロティックだ。

「BL読みというのはどんなふうに読むのですか?」
ある時なかやまななに訊いたことがある。
彼女が私の川柳もBL読みできると言ったので、びっくりした。

プラハまで行った靴なら親友だ   小池正博

主語は書いていないのだが、この親友同士は男性で恋愛関係にあると妄想するわけである。プラハまで行ったのだから、そこで何かがあったのかもしれない。

BL短歌誌「共有結晶」は手元にないが、BL俳句誌「庫内灯」は文学フリマで手に入れて持っている。「庫内灯」1号(2015年9月)に石原ユキオが「BL俳句の醸し方」を書いている。
「BL俳句に決まった読み方はありません。
漫画や小説を読むように、あるいはゲームや映画やミュージカルのワンシーンにうっとりするように、気軽に楽しんでもらえたらうれしいです」
そして石原はBL俳句を楽しむコツとして「情景を想像し、ストーリーを妄想せよ!」というミッションを与えている。
この号には金原まさ子と佐々木紺の往復書簡も収録されていて興味深い。

少年を食べつくす群がって蝶たち     金原まさ子

この句について金原は、20年くらい前に見た「去年の夏、突然に」というアメリカ映画の物語から作ったもので、本当にどぎついでしょう、と述べたあと「そう言えば、そちらのBL俳句には性の匂いがいたしませんね。すごく清潔で私ははずかしいです」と書いている。「BLは清らかですね」
金原は「庫内灯」2号(2016年9月)には作品を寄せている。他の作者の句もまじえて紹介する。

ふかい歯型の青りんご視てとり乱す    金原まさ子
Tシャツや抱きしめられて絞め返す    石原ユキオ
短夜を同じ湯船や少し寄る        岡田一実
どちらかが起きてどちらかが眠る     なかやまなな
奈落から隧道そして春灯へ        松本てふこ
彼の怒りに触れたし白百合を噛む     実駒

5月の「句集を読み合う 岡村知昭×中村安伸」(関西現俳協青年部)で仲田陽子が中村安伸『虎の夜食』のBL読みを行ったときもびっくりしたが、BL短歌・BL俳句は徐々に浸透してきており、その射程距離は思ったより広いようだ。

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