2017年6月24日土曜日

女性川柳の現在―「カモミール」と「旬」

カモミール キク科の1種の耐寒性一年草。和名はカミツレ。

「川柳カモミール」第1号を送っていただいた。
八戸市で開催されている「川柳カモミール句会」の句会報として5月に発行された。
女性五人の作品が20句ずつ掲載されていて、清新な感じがする。
飯島章友が「川柳スープレックス」ですでに書いているが、巻頭の三浦潤子の作品は私もはじめて読むので、特に注目した。

膨らんだ餅からSMAPがぷしゅーつ      三浦潤子
首縦に振る度落ちてゆく鮮度
ネクタイをゆるめ雲の名ひとつ知る
織姫の364の詩
削除してサクジョしてさくじょして シーつ

時事的な話題を川柳としてどう詠むかはむずかしいところだろう。SMAPのファンにとっては他人事ではないだろうが、掲出句は第三者の立場から軽やかに詠んでいる。軽やかさは「ぷしゅーつ」とか「シーつ」というオノマトペにもよる。俳句でも「軽み」ということが言われるが、「軽み」は川柳の持ち味のひとつである。重い内容を重く表現するやり方もあれば、重い内容を軽く表現するやり方もある。重いとか軽いとかいうのは主観的な感じ方だが、かりに重くて深い主題であってもそれを表面に隠して軽みとして表現することもある。
「織姫の364の詩」では七夕の特別な一日ではなくて、それ以外の364日に川柳の眼をそそいでいる。しかも、7月7日に「詩」があるというのではなくて、364日の方に「詩」があるというのだから、その着想のアイロニーは相当なものだ。

だからって唐突に消えちゃった鈴        守田啓子
逆境に満月なんか出てこないで
ピーマンの振りして寄り添った振りして
考えるとこです ブックセンターを出て右手
醤油注ぎに醤油足せる日までのこと

これらの句は、句の前後にさまざまな状況を想像しながら読むことができる。
「だからって」というのは、前にどんなことがあったのか分からないが、省略された文脈の、その途中から作品が始まっている。
逆境に満月なんか出てきたら、いっそう腹の立つことは理解しやすいが、その逆境は仕事や恋愛やさまざまな人間関係の状況に当てはめることができる。
物語の一場面だけ読まされた読者は、断片であるからこそ逆にその前後に広がる大きな物語空間を感じとることができる。

発砲はしましたが戦闘ではありません      滋野さち
スーダンへ桜前線を送り出す
真っ先に「戦争はイヤ」と書く軍手
ペラペラのナルトの下のがん細胞
本名を知らない人と会う四月

滋野さちの作品は川柳の批評性を手放さない。常に現実の社会と対峙したところで書かれている。社会性川柳を書く人が少なくなった現在、滋野の作品はますます貴重なものとなるだろう。
いうまでもなく、風刺は芸術のひとつの方法である。川柳はことばの芸術でもあるから、川柳のことばと批評性を両立させるのは、とても困難なことだと思う。

灰汁抜きも面取りもした鳥にする        横沢あや子
ほっといて女子力男子の種袋
葉月の葉いちまいずつの人の声
もんしろ蝶つれて八月の帽子屋
柿だもの淋しがらせてあげましょう

横沢あや子の作品を久しぶりに読んだ。
「鳥」「葉」「蝶」「柿」などをの日常語を使って、それを川柳の言葉・詩の言葉にまで高めている。これらの語は自然物ではなくて、人間との関係のなかで使われているから生活詩となる。
女性を果物にたとえると何になるのだろう。五句目の作中主体は「柿」だといっている。林檎とか蜜柑とか梨ではないのだ。柿が淋しいのではなくて、柿は誰かを淋しがらせるような存在だというのだ。

縁取りをすればどうにかなるでしょう      笹田かなえ
通り過ぎて欲しいところで待ってしまう    
マッチ擦るいつもそこから始まった
北海道のコーナーにある志賀直哉
泥絵具 三千世界を塗りましょう

笹田かなえの「はじめに」によると、「カモミール」は「川柳を書いて読んで合評するという形の勉強会」である。各地で試みられている「川柳の読み」に時間をかける句会のひとつのようだ。吟行会も行っているらしい。
たまたまかもしれないが、女性川柳人が五人集まっていることにも新鮮さが感じられる。
女性川柳誌としては、かつて飯尾麻佐子の「魚」があった。田口麦彦が編集した『現代女流川柳鑑賞事典』(三省堂)も労作である(「女流」という現在は使われなくなっている言葉を用いている点は気になる)。「男性優位社会」はそれぞれの地域・フィールドでまだ残っているだろうが、風通しのよい川柳の場がどんどん増えてゆけばいいと思う。

伊那から発行されている「川柳の仲間 旬」は今までも紹介したことがあるが、5月に211号が発行された。ここでは千春と樹萄らきの句を紹介する。

雷を育て上げては龍にする       千春
ひめごとはおひるにするとやわらかい
生きるんだそうと決めれば鳥かなあ

現代の川柳は言葉から出発することが多いが、作者の実存から出発する川柳もある。
誰でもいろいろな困難を抱えながら生きているから、川柳を読んだり書いたりすることで前に進めることもある。
傷つきやすさとかナイーヴなものを失わずに、それを川柳の言葉として鍛えあげていくことが大切だろう。

まいったねえ右も左も寸足らず     樹萄らき
おまえさん脛にキズもつお人好し
未来は過去の延長じゃない…けどさ
淡々と…淡々なんていかねーよ

樹萄らきの句には語り口のおもしろさがある。威勢のいいお姉さんの口調である。
近ごろは作者と作中主体を分けて読むのがふつうだが、この作者の場合は重ねて読んでもおかしくはない。作品を通じて読者は樹萄らきのイメージを何となく思い浮かべることができる。それが本当のこの作者の姿なのかどうかは知らない。作品を通じて浮かび上がってくる作者像である。キャラクターという言葉を使うとすれば、「姉御キャラ」というような感じだ。
今回の作品で、威勢のよさが途中で口ごもっているのは、「…」の使い方による。そこに川柳的屈折があるのだ。

2017年6月9日金曜日

煮えたぎる鍋

今年は石部明没後五年に当たる。
一昨年から八上桐子と小池正博の二人で「THANATOS」というフリーペーパーを発行している。石部明の作品を毎回50句ずつ紹介し、石部明論と石部明語録を付けている。年一回発行で現在第二号まで。六月に入って、今年の第三号の作成に取りかかりはじめた。
第三号で取り扱うのは、1996年~2002年の時期。明、57歳から63歳。
「川柳大学」「MANO」『現代川柳の精鋭たち』『遊魔系』と油の乗った時期である。
ちなみに「MANO」創刊が1998年5月。『現代川柳の精鋭たち』が2000年7月。句集『遊魔系』発行が2002年2月。
この時期の作品を初出から調べてゆく作業をしていると発見もある。たとえば

嗄れた咳して死者のいる都    石部明

という句。「MANO」『遊魔系』では上掲のかたちなのに、『セレクション柳人・石部明集』では「嗄れた声」になっている。川柳では本文校異がされたことがなかった。
まだ先のことだが、「THANATOS」3号は9月18日の「文学フリマ大阪」で配付の予定である。

「里」6月号に天宮風牙が5月6日の「川柳トーク」のことを書いている(「もう一つの俳の句」)。天宮は「里」に俳諧論を連載しているが、俳諧の観点から川柳にも関心をもちイベントに参加したようだ。
「今話題の瀬戸夏子氏とその鋭い論考で俳壇でも注目の柳本々々氏の参加ということで観客には多くの歌人、俳人の姿が見られた。連句人の浅沼璞氏の姿もあり短歌、俳諧(連句)、川柳、俳句と所謂短詩系文芸人が一堂に会する席であったことが何よりも興味深い」
しかし、シンポジウムの内容そのものは天宮の俳諧論に直接寄与するものではなかったらしくて、彼はこんなふうに書いている。
「結論から言うと、一句独立の確立した現代俳句をもって俳諧を論ずることが困難であるように、現代川柳から俳諧を論ずることもまた困難であるように思う。但し、俳人としてはあ実に実りの多いシンポジウムであった」
私は連句人でもあるから、天宮の言いたいことはよく分かる。拙著『蕩尽の文芸』の帯文に私はこんなふうに書いている。
「他者の言葉に自分の言葉を付ける共同制作である連句と、一句独立の川柳の実作のあいだに矛盾を感じることもあったが、今は矛盾が大きいほどおもしろいと思っている。連句と川柳―焦点が二つあることによって大きな楕円を描きたいのだ」
これは私の初心であったはずだが、まだ大きな楕円が描けていない。

「川柳トーク」と「文フリ東京」以後も短詩型の世界は目まぐるしく動いている。
5月21日、コープイン京都で「句集を読み合う 岡村知昭×中村安伸」というイベントが行われた(関西現俳協青年部・勉強会)。
東京でも開催された四句集(小津夜景『フラワーズ・カンフー』、田島健一『ただならぬぽ』、岡村知昭『然るべく』、中村安伸『虎の夜食』の読みのうち、関西にゆかりのある岡村と中村の句集を読むもので、岡村の句集を中村と久留島元が、中村の句集を岡村と仲田陽子が読むというものだった。仲田が中村の句集のBL読みを行ったのが印象的だった。

春立ちぬ鱗あろうとなかろうと   岡村知昭
黙祷のあとにふらつくのが仕事
雨音や斜塔を妻といたしたく

はたらくのこはくて泣いた夏帽子  中村安伸
馬は夏野を十五ページも走つたか
水は水に欲情したる涼しさよ

瀬戸夏子と平岡直子が発行している「SH」もすでに四冊目となる。
歌人である瀬戸と平岡が川柳の実作を試みていて、毎回ゲストが参加する。
「SH4」から。

作戦名…忘れたすぐに楽になる    山中千瀬
かわいいを集めたデッキで勝ち進む
友だちになろう飛行機にも乗ろう

必ず暗くなるので夜を名乗らせて   我妻俊樹
セックスの中で醤油を買いにゆく
昼過ぎまで有料だった水たまり

さくらの最良の子ども        瀬戸夏子
石鹼の裾上げ見つめ
よわい梅から耳朶を選ぶ

月蝕のような美貌が欠けている    平岡直子
ペンギンの群れを避けつつ一周す
絶滅も指名手配も断った

瀬戸は「川柳トーク」でも「川柳は長い」と発言していて、今回は短律作品を書いている。短歌が二つのパーツからできていると仮定すれば、川柳を書くときも二つのパーツの組み合わせなら短律や七七句の方が書きやすいということなのだろう。
かつて川柳と短詩の交流があった時期に(短詩が川柳に流入した時期と言った方がいいか)、短詩が長律派と短律派に分かれ、分裂していったことを思い出した。

短歌研究誌「美志」19号を送っていただいた。
特集は〈井上法子歌集『永遠でないほうの火』を読む〉。
編集後記に〈昨年は「わからない」歌について歌壇ではやりとりがあった。論争にからむよりも「読み」の実質を作っていきたい〉とある。
私は川柳と短歌の違いを考えるときに、ときどき次の二つの作品を並べてみることがある。

煮えたぎる鍋 方法は二つある      倉本朝世
煮えたぎる鍋を見すえて だいじょうぶ これは永遠でないほうの火  井上法子

倉本の作品には省略があって「方法は二つある」と言われると何と何だろうと考えてしまう。読者に預ける書き方である。「火を消す」のと「鍋の湯をぶちまける」の二つだろうな、と私は思うが、井上の短歌を読んだときに「じっと見すえる」ということもあるのだなと思った。大丈夫、これは永遠に続くのではないと自分に言い聞かせながら。

1月の「文フリ京都」では合同句集『川柳サイドSpiral Wave』を販売したが、9月の「文フリ大阪」では『川柳サイドSpiral Wave』第2号を発行・販売する予定である。今回の参加者は、飯島章友・川合大祐・小池正博・酒井かがり・樹萄らき・兵頭全郎・柳本々々の7名。
さまざまなことを形にしていくには、まだ暑い夏を越さなくてはならない。

2017年6月3日土曜日

渡辺隆夫とキャラクター川柳

1「人間は油断をすると、すぐ真面目になってしまう」(渡辺隆夫)

「バックストロークin東京」(2005年5月)のシンポジウム「軽薄について」における渡辺隆夫の発言から。
隆夫さんが亡くなったことを3月に聞いたが、この時評では何も書かなかった。隆夫さんとは「バックストローク」同人として交流があったし、彼の句集『魚命魚辞』と拙句集『水牛の余波』をセットにして句評会を開催したこともあった(2011年7月)。
いま渡辺隆夫について真っ先に思い出すのはこの言葉である。

2私性の抹殺

句評会で私は『魚命魚辞』について次のように語った。

〈私はこれまで渡辺隆夫の川柳を「私性の抹殺」「諷刺対象の創出」「キャラクター川柳」という視点から読んできましたが、本句集を読んでキーワードは「昭和」だと思いました。隆夫さんの「昭和」に対する落とし前のつけ方として読んだわけです。
川柳は本来第三者性の立場から詠まれてきたので、「私性」が問題になるのは近代川柳以後です。隆夫さんは近代川柳の行き詰まりの打開を川柳本来の第三者性に求めていると考えられますが、その際の風刺対象をどう作るか。その最大の手法を私は「キャラクター川柳」と考えています〉

「私性の抹殺」「諷刺対象の創出」「キャラクター川柳」―あのとき私は何を言いたかったのだろう。改めて考えてみたい。

3さまざまな一人称

脱ぐときの妻は横目で僕は伏目     (『宅配の馬』)
ちょっと見てよ死体(わたし)の焼け具合 (『都鳥』)
しばらくね私蛇姫すっぽんぽん     (『亀れおん』)

この三句について一人称の使い方を比べてみたい。
一句目の「僕」は作者自身とも読めるが、二句目では「死体」に「わたし」というルビが付いている。死者の視点で詠まれており、語っているのは死者自身ということになる。三句目の「私」は「蛇姫」というキャラクターが語っている。虚構の度合いがエスカレートしているのだ。「作品=作者の自己表現」だとか「作中主体=作者」とかいう前提はまったく見られず、「私性」というようなものは最初から否定されている。だから、私は隆夫の作品を「私性の抹殺」という捉え方をしたのだった。
隆夫作品は川柳の第三者性をもっともよく体現している。
川柳は本来、自己表現や私性の表現ではなく、第三者の立場から人間や社会を揶揄するものであった。第三者だからこそ無責任=自由にカラリと明るい句を詠めるのだと彼は考えたのだろう。隆夫作品に対しては「私情開陳のカモフラージュ」(石田柊馬)という見方もあるし、たとえば「お別れにお金ほしいわ夏木立」というような句に対して、「エンターティメントとしての一人称」(古俣麻子)と言われることもあった。
人称に関して「飛行機のように電車も突っ込んだ」という句について荻原裕幸は、作家個人でもない世間一般の声でもない「非人称」の声がひびいていると評した。一人称は作者の「内面」や「思い」を表現しやすいが、絶望的な題材を前に、もはや人称の枠のなかでは語りきれない声が、作者を離れた、「非人称」の話法になったというのだ。
この句はJR福知山線の脱線事故を詠んだ時事句である。このような句作の中に隆夫の第三者性が典型的に表れている。荻原の評に対して、渡辺隆夫は「『非人称』という文字を見たとき、私は『非人情』と読んでハッとした。私の句が、しばしば、被災者や遺族への配慮を欠き、弱者に対する同情が足りない、と人情第一主義者に嫌われていたからだ」(「人称へのこだわり」)と述べている。被害者や犠牲者に感情移入してしまえば、このような句を書くことは不可能になる。「私」とは無関係であるからこそ、テロも事故も書くことができるのだろう。

4諷刺対象の創出

渡辺隆夫の句集では、三句または四句がセットになっていることが多い。章ごとにテーマ設定がされていることもある。これは諷刺対象を意識的に作り出すための方法である。たとえば、『魚命魚辞』第五章では「魚の国」が設定されている。

乙姫社の魚語辞典はまだ出ぬか
シーラカンスは魚気の多い編集長

「魚の国」があって、魚の出版社「乙姫社」がある。編集長はシーラカンス。まず、この漫画的乗りをおもしろいと思わない人にはこの句集は無縁だろう。人間なら「ヤマ気」が多いのだろうが、魚だから「魚気」が多い。出そうとしている本は『魚語辞典』。このようにして一句一句を積み上げることによって、隆夫はひとつのセカイを創り上げてゆく。何のためにセカイを創り上げるか。そのセカイを風刺対象にするためだ。風刺対象がなければ風刺することができない。

5キャラクター川柳

アニメや漫画を作るときに、女の子に猫の耳を付けようとか、この主人公に剣を持たせようなど、キャラクターが重要な役割を果たしている。ミッキーマウスやドラえもん、キティちゃんなどはだれでも知っているキャラクターである。そのような「キャラクター川柳」として、たとえば渡辺隆夫の「ベランダマン」が思い浮かぶ。

雨夜のラマダン月夜のベランダマン
屋上のベランダマンは人畜無害
シリウスも凍るベランダ喫煙所
ベランダマンをパンパン叩く隣の嫁

句集『黄泉蛙』の作品である。スーパーマンやスパイダーマンのようなかっこいいキャラではなく、ベランダマンはベランダでこっそり煙草を吸っている人畜無害で卑小な存在である。ベランダマンはいかにも川柳的なキャラクターであろう。

6「現代における一般的な読みとはマンガ的読みだ」(渡辺隆夫)

アニメやマンガのキャラクターを直接の素材として作句するのは今ではよく見られる方法である。隆夫の川柳にもマンガ・アニメのキャラクターを用いたものがある。

原子力銭湯へ行っておいでバカボン
テポドンに紅の豚ぶちかまし

「キャラクター川柳」は作者と作品を切り離すための方法として有効である。
「作品=作者の自己表現」だとか「作中主体=作者」という近代的な文芸観の行き詰まりを打開するために、隆夫は「キャラクター川柳」に到達したのだと私は思っていた。

7「なんでもありの五七五」(渡辺隆夫)

けれども、渡辺隆夫がやろうとしていたのは、私が隆夫作品にめんどうな回路を通ってアプローチしたようなことではなくて、もっとストレートな何かであったかもしれない。

還暦の男に初潮小豆めし
老妻に教わる月々の処置
TOTOに坐る牡丹となりにけり
芍薬は立ってTOTOしていたり

渡辺隆夫の句集の中で最も顰蹙を買った(と思われる)句集『亀れおん』から。「性転換」というタイトルが付いている。
還暦の男になぜ初潮があるのか、と考えるような人には意味が分からない作品である。とにかく、還暦の男に初潮があった。お目出度いといって「小豆めし」を炊いてもらったのである。毎月生理があるという体験ははじめてだから、妻にどうすればいいか教えてもらうことになる。TOTOは便器だろう。立てば芍薬、座れば牡丹。
隆夫は生物学者だったから、昆虫などの雌雄同体とか性の転換とかいうことを見慣れていたことだろう。それを人間に適用すればどうなるか。
キャラクター川柳どころではない。隆夫は性差を超越させてしまった。いや、超越というのではなくて、女性の性の具体を男性に川柳のなかで体験させてしまった。
「なんでもありの五七五」とは渡辺隆夫の川柳定義である。「なんでもあり」だから定義にはならないのだが、考えてみるとこれはおそろしい定義である。「それは川柳ではない」という類の枠組み設定や排除の論理が通用しなくなるからだ。私たちは渡辺隆夫のように「なんでもあり」と言い切る勇気があるだろうか。

8「川柳には、引き継ぎ・引き渡す程のスンバラシイ伝統なんか、なーんもない」(渡辺隆夫)

「バックストローク」15号の「現代川柳の切り口」で「川柳の伝統とは何か」を取り上げたときに、隆夫は「なーんもない」と書いてきた。
私は何もないところに何かを作りあげようという立場であるが、最近になって何もないことの風通しのよさということもまたあるのかなと思うようになった。

9「悪意というのは、人の心の内側に向かって深く静かに潜行していくというイメージがあります。一方、軽薄は、外側に向かっているエネルギーといいますか、発散していくベクトルを持っておりまして、無責任とか無節操とか、無思想とか、とにかく無茶苦茶に無作法そのものが軽薄と考えます」(渡辺隆夫)

「バックストロークin東京」、「軽薄について」から。
最後に隆夫の言葉として私が切実に思い出すのは次のことである。

10「川柳は外向的でないと生きてゆけないのである」(渡辺隆夫)

2017年5月20日土曜日

「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」についての感想(続き)

「レジュメに載せてある作品から作者の名前を隠してください。これは断言してもいいんですが、短歌に比べると川柳では、作者名を隠すと男女差がわからなくなると思います」(瀬戸夏子)

前回の続きで「川柳トーク」について書くが、今回は柳本々々についての感想である。
このイベントの二週間前に現俳協の勉強会があって、柳本はパネリストとして話をした。彼の話をもっと聞きたくて「川柳トーク」に参加した方もあったようである。
柳本は俳句の読みを通じて、そもそも「読むこと」とは何だろう、と痛切に感じたようだ。彼はこれまでにも、川柳だけではなくて短歌や俳句の読みを書いて来たはずだが、「俳句」という他ジャンルのフィールドの中で「読み」の問題が改めて問い直されるのだろう。
今回も「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」というイベント名をテーマとして正面から受け止めたのが柳本だった。インパクトの強いキャッチ・コピーとしてではなく、テーマとして内面化したのだ。柳本が挙げたのは次の10句である。10句に通底するテーマは【世界の終わりと任意の世界】だとされている。

みんな去って 全身に降る味の素       中村冨二
頷いてここは確かに壇の浦          小池正博
ファイティングポーズ豆腐が立っている    岩田多佳子
オルガンとすすきになって殴りあう      石部明
妖精は酢豚に似ている絶対似ている      石田柊馬
人差し指で回し続ける私小説         樋口由紀子
中八がそんなに憎いかさあ殺せ        川合大祐
おはようございます ※個人の感想です    兵頭全郎
毎度おなじみ主体交換でございます      飯島章友
菜の花菜の花子供でも産もうかな       時実新子

これらの句を通じて、彼は川柳の「任意性」を論じた。「任意性」とは兵頭全郎の句集『n≠0 PROTOTYPE』から抽出されたものである。「川柳カード」14号でも柳本は全郎の句集について、次のように書いている。

全郎の句集はタイトルにも「n≠0」と、「n」になにかを代入するやいなや、それが〈違うかもしれない可能性〉が暗示されていたが、句にも〈内〉と〈外〉が定まらない〈任意〉の世界が描かれている。この句集は真顔でこう言っているようだ。《構造とは実は任意なのだ》と。もっと大きく言えば、川柳というジャンルは、〈任意〉なのだ。と。

この考えを柳本は瀬戸夏子の仕事につなげてとらえた。
瀬戸夏子がやっている仕事は、ある任意の方向性を変えようとするものと思われる。短歌である読み方が因習的・支配的であるときに、瀬戸夏子がそういう読みかたはどうなのだろうと疑問を投げかけ「任意」のものにする。この日のタイトル、本当は「川柳が瀬戸夏子のなかで荒れる、荒ぶることができるか」ということだと柳本は言う。
第一部で小池が歴史的な縦軸を通して川柳作品を読んだのに対して、瀬戸はそれとは別のテクストとしての「読みの枠組み」を提示した。「おれのひつぎは おれがくぎうつ」(河野春三)の句を、瀬戸は「分裂する私」「生成変化する私」ととらえたが、柳本は「任意の私」ととらえたいと言う。

「毎度おなじみ主体交換でございます」では「主体交換」がとても川柳的。日常会話では使わない思想的・哲学的な言葉を「毎度おなじみ~」という卑俗な言説に落とし込んでゆく。
「おはようございます ※個人の感想です」では、「おはようございます」という疑いようのない言説に「※個人の感想です」という通販番組的言説が付くことによって、絶対的なはずの挨拶に任意性がもたらされることになる。

柳本は10句を順に説明してゆくのではなくて、9句目→8句目→10句目→7句目、というように適宜ピックアップしながら話を進めていった。次はどの句に話が結びつくのだろうと考えるとスリリングであった。特に驚かされたのは時実新子の読みについてである。

菜の花菜の花子供でも産もうかな       時実新子

時実新子は川柳で女の情念を表現したといわれているが、それにはあやしいところがある。句集を読んでいると新子には変な句、情念句というとらえかたにはおさまりきれない句が出てくる。「産みたい」とか「産めない」「産まなければならない」ではなく、「産もうかな」という任意的な言い方だと柳本は述べた。
春三の句について小池がマッチョな言説だとしたのに対して、瀬戸は「おれ」「おれ」と繰り返すことによって「私の分裂」を提示した。
作者がこう書こうとしたはずなのに、後から読者が読んだときに別の読み方が引っ張り出されてしまうことがある。
柳本はこれを「テクスト論的逸脱」として説明した。新子が川柳を書き続けているうちに「川柳の任意性」に汚染されて、「テクスト論的逸脱」をして、それが現在の柳本によって引っ張りだされたという。
柳本は「神戸新聞」(2017年1月7日)の「新子を読む 新子へ詠む 時実新子没後10年」でこんなふうに言っている。

「私」を書く川柳で知られる作家だけれど、僕が惹かれたのは、そんな人間的率直さよりも文体の形式性。現代川柳とは言語の芸術なのだから、新子句も伝記的背景を離れ、もっと言語的面から読み直されるべきだと思う。

さらに、柳本はジェンダー論にまで踏み込んだ。
近代になってジャンルが固定されることで、「任意性」が消えた。これは「男」「女」の固定制にもつながってゆく。
川柳が「任意性」の文芸だとすれば、川柳はジェンダーに敏感だったかもしれない。それなのに、川柳では今までジェンダー批評がおこなわれなかった。川柳が瀬戸夏子に出会うことによってジェンダーを自覚するかもしれない、と言うのだ。
ひょっとして、この柳本の発言は現代川柳がジェンダー論の視点からまともに語られた最初になるかもしれない。

瀬戸夏子は川柳に惹かれる理由を、近代的自我にとらわれない自由さにあると述べた。柳本は「任意性」「テクスト論的逸脱」から現代川柳のさまざまな可能性について語った。
いずれも、今まで川柳の世界の内部からはあまり聞くことのなかった捉え方である。
私は、かつて花田清輝が「前近代を否定的媒介にして近代を超克する」と繰り返し書いていたことを思い出した。レンキスト・浅沼璞の「可能性としての連句」にならって言えば、「可能性としての川柳」ということになるだろうか。
これからも現代川柳が作品や批評の分野で、さまざまな可能性を開拓してゆくことを期待したい。

(付)「触光」52号(編集・発行、野沢省悟)に「第7回高田寄生木賞」が発表されている。佐藤岳俊「現代川柳の開拓者」が受賞。入選は飯島章友「川柳ネタバレ論」小池正博「難解の起源」柳本々々「絵描きとしての時実新子」濱山哲也「川柳珍味 鳴海賢治商店」。次回(2018年1月末締切)も「川柳に関する論文・エッセイ」を募集している。

2017年5月14日日曜日

「瀬戸夏子は川柳を荒らすな」についての感想

「川柳トーク」のイベントにかかりきりで、このブログを更新できないでいるうちに、短詩型文学の世界はどんどん進行している。
まず、小津夜景が「第8回田中裕明賞」を受賞した。
句集『フラワーズ・カンフー』については私も触れたことがあるし、あちらこちらで評判になった句集である。連句の世界では句集の上梓を記念して連句作品を巻くことがある。たとえば、「オルガン」9号では田島健一『ただならぬぽ』を記念して、オン座六句(浅沼璞捌き)を掲載している。今年に入って、小津夜景の句を発句として歌仙「たぶららさ」の巻を掲示板「浪速の芭蕉祭」に掲載した。『フラワーズ・カンフー』の発刊記念のつもりだったが、受賞を予祝するものとなったわけである。
また、現俳協主催の勉強会「ただならぬ虎と然るべくカンフー」が4月22日に開催され、小津夜景『フラワーズ・カンフー』、岡村知昭『然るべく』、中村安伸『虎の夜食』、田島健一『ただならぬぽ』の4つの句集について1日をかけて読み合ったようだ。さらに4月29日には船団の会のシンポジウム「口語の可能性」があり、神野紗希・秋月祐一・久留島元などが登壇した。
そういうイベントを横目に見ながら、ツイッターで「#瀬戸夏子は川柳を荒らすな」のイベント案内を流し続けた。

5月6日、中野サンプラザの研修室で「川柳トーク・瀬戸夏子は川柳を荒らすな」が開催され、歌人・俳人・川柳人など61名の参加があった。このイベントは私と瀬戸が半年くらい前から計画していたものである。従来、川柳の大会にゲストとして俳人や歌人を招くことはあった。また、俳句などのイベントに川柳人が招かれることもないわけではなかった。けれども、今回のイベントは瀬戸と小池の共同主催であり、従来の枠組を超えて広く川柳の存在と魅力を発信しようとする企画であった。広報は主としてツイッターを通じて発信され、ふだん川柳のイベントに来ることのない不特定多数の短詩型愛好者に参加してほしいというねらいがあった。幸い「知られざる現代川柳の世界」に関心をもっていただくことができたようである。

私は他ジャンルの人が川柳に対してとる態度を次の4点に整理した。
①俳人・歌人が「川柳って何ですか」と問いかけてくる(川柳の定義)
②川柳を読みたくても句集・アンソロジーが手に入らない(川柳の発信力の弱さ)
③川柳が文学になろうとすると俳句に負ける(「サラ川」的なものを追求すべき)
④文学的川柳をなぜ自信をもって追及しないのか(川柳は卑屈)
では、瀬戸夏子は現代川柳をどのようにとらえているのか、川柳のどこに魅力を感じているのだろうか。
私は瀬戸が現代川柳に関心をもつのは現代短歌と通じるところがあるからだと思っていた。けれども、話を聞いていると、逆に現代短歌にはない点が現代川柳にあり、そこに惹かれて現代川柳を読んでいることがわかった。どういうことだろうか。
瀬戸が選んだのは次の10句である。

私のうしろで わたしが鳴った        定金冬二
おれのひつぎは おれがくぎうつ       河野春三
明るさは退却戦のせいだろう         小池正博
ゆうれいの 仮説に惚れて逢いに来い     中村冨二
母さんも金魚にもどる時間だよ        渡辺隆夫
いもうとは水になるため化粧する       石部明
月光になりましたのでご安心を        広瀬ちえみ
くちびるの意識がもどる薮の中        樋口由紀子
裏声をあげて満月通ります          なかはられいこ
キャラクターだから支流も本流も       石田柊馬

まず、話の前提として瀬戸が語ったのは、明治になって西洋の「近代的自我」が入ってきたときに、詩・短歌・俳句のそれぞれのジャンルが生き延びてゆくために分業制を行っていったということ。短歌は「私性」というものを打ち出して成功したが、川柳には強い「近代的自我」があまり感じられないと瀬戸は言う。
たとえば、一句目「私のうしろで わたしが鳴った」というのは「私」のうしろにもうひとりの「わたし」がいるということで、「私」が遊離している状態。二句目「おれのひつぎは おれがくぎうつ」という二人の「おれ」の分裂状態も軽やかである。それが他のいろいろな川柳にもヴァリエーションとしてあらわれているのではないか。渡辺隆夫・石部明の場合もずっしりした肉体があるのではなくて、軽やかに「変身」し「生成変化」している。五句目、金魚に戻るというような表現を短歌でした場合には、背景にどういう感情があって金魚に戻るのか、六句目、月光になったのでご安心をというのも、月光になることによって誰がどういうふうに安心するのかという背景の文脈が読みとれるように書くことが要求される。いったん自分の肉体のなかに世界を取り込んだ上で、肉体のなかにカオスを作り出すというのが斎藤茂吉以来の短歌の「私」だと瀬戸は言う。最後の石田の句で、支流も本流も「自我」ではなくて「キャラクター」だととらえているのも川柳の軽やかさだと思う。そんなふうに瀬戸は語った。

瀬戸の話を聞きながら、特に河野春三の句を「軽やか」と受け止めていることに衝撃を受けた。春三の句は「重い」「重くれ」の句だと思っていたからである。
私は「河野春三伝説」(「MANO」19号)で次のように書いている。
「春三、六十代前半の句である。現代川柳の革新者として自他ともに認める『作者』のイメージが前提としてまず存在する。その春三の川柳人生を振り返っての決意を一句にしているのだから感動的でないはずはない。逆に言えば、春三のことを何も知らない読者にとって、この句はそれほど訴えかけてくるものではない。そんなにカッコつけなくても…と思ってしまうのである。『おれの』『おれが』と繰り返すのも何だか押し付けがましい」
春三は「川柳に私が導入されたときに詩がはじまった」と言ったという。

歴史的な意味があるとはいえ、私にとっては愚にもつかない、乗り越えるべき対象でしかない春三の句を、二人の「おれ」の分裂として「軽やかさ」を瀬戸が読み取ったということは、短歌における「私性」がそれだけ強固で息苦しいものだということなのだろう。おもしろかったのは、瀬戸が「私性」の説明をするときに、常に「私は嫌なんですけど」と断りながら短歌の本流としての「私性」を語ったことだ。そこに現代短歌界における瀬戸の位置があり、彼女の短歌観から見て現代川柳に可能性を感じていることがよくわかった。
逆に言えば、私が今まで川柳に導入されたと思っていた「私」は短歌から見ると「軽やか=ゆるい」私性でしかなかったことになる。

そういえば、斉藤斎藤は「オルガン」9号の座談会で突然「川柳」に触れ、「短歌の『私』とは違って、なかの人がいない着ぐるみみたいに見える」と述べている。短歌の人から見ると川柳の「私」はそんなふうに見えるのだろう。
渡辺隆夫は「重くれと軽み」について言っていたし、荻原裕幸は渡辺隆夫の句について「非人称」と言っていたことを、あとから思い出した。

瀬戸は現代川柳の歴史もある程度知ったうえで、あえて現在の目からテクストとして見た川柳の可能性を語ったのだろう。私は河野春三から時実新子に至るラインを現代川柳の行き詰まりと見て、その乗り越えとしてポストモダン川柳を考えていたが、そのような面倒な手続きをしなくても、テクストとして読まれた現代川柳が直接、心惹かれるものと受け止められ、認知されるようになってきたのは嬉しいことである。
瀬戸夏子の発言は「川柳を荒らした」かどうかはわからないが、少なくとも私の川柳観を荒らし修正を求めるものだった。さらに私の川柳概念を荒らしていったのが柳本々々である。(この項続く)

2017年4月21日金曜日

現代川柳における二次創作―川合大祐の場合

『川柳サイドSpiral Wave』は飯島章友・川合大祐・小池正博・榊陽子・兵頭全郎・柳本々々の六人による合同句集である。30句ずつ掲載されており、「現代川柳百人一句」(小池正博・選出)が付いている。
本日、取り上げるのは川合大祐の作品である。
川合の作品は三句一組で10セット。三句が先行する漫画・アニメ・映画・小説・絵画などを素材として踏まえて作られている。たとえば、

「私たちは最初からあなたたちが大嫌いで、最初からあなたたちが大好きだった」幾原邦彦『ユリ熊嵐』

萌えキャラのひき返しては熊射殺   川合大祐
熊を撃つ地球が沈む絵のように
弾丸の摘出法を説くアニメ

というような具合。私はアニメの「ユリ熊嵐」を見ていないので、よくわからないが、短歌などの他ジャンルでも「ユリ熊嵐」に基づいた作品を見かけたことがある。
川合は、ほかに上北ふたご『ふたりはプリキュア Splash☆Star』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』なども取り上げているが、「ナウシカ」の方は私にもよく分かる。

税金で明るい暮らしトルメキア
ユパ様の思春期ほどに遠い過去
巨神兵いい筋肉は柔らかく

小説ではイアン・マクドナルド『火星夜想曲』、クリフォード・D・シマック『都市』、横溝正史『獄門島』も用いられていて、川合が幅広く読書していることがわかる。

むざんやな(獄門島で覚えた句)
(今書いた川柳すべて消しなさい)
(好きでした)×(獄門島で殺したい)

「獄門島」では芭蕉の「むざんやな冑の下のきりぎりす」「うぐいすの身を逆さまに初音かな」などに見立てて殺人事件がおこなわれるのだった。
『川柳サイドSpiral Wave』で川合は最後に「十牛図」を持ち出している。禅の悟りの十段階を牛の絵で示したものだが、ピンク・フロイドの「原子心母」を掛け合わせているところが一筋縄ではいかない。これはアルバムのジャケットに牛が使われているので有名なもの。

まだ牛であった時代の四国斑
意味よりもないものとして手を握る
乳牛の長い唾液は比喩なのか

このような作句法はある意味で川柳に親和的である。川柳は題詠が多いので、先行する作品を題(前句)として句を詠むという発想はありうる。川合の場合はアニメ・漫画を使っているところに現代性がある。

「川柳スープレックス」に川合は「200字川柳小説」というのを書いている。招待作品や任意の川柳作品に短い小説を添える試みである。彼は何のためにそんなことをしているのだろう。たとえば2017年2月19日の「薔薇の名前」。

「1877年、マーシュとコープとの間に勃発した〈化石戦争〉において」と〈博士〉は語りはじめ、「結果として、〈ブロントサウルス〉の名前を」と続けた時、〈偉人〉が乱入してきて、「〈ブロントサウルス〉はその名前であり続けるべきだ」と銃を振り回すのを〈下駄日和〉が制止して、「名前などどうでもいいだろ」、「いや」と〈水母に似た彗星〉が異議を唱え、「私達のあだ名は考えるべきだ」、ところで、吾輩は〈猫〉である。

おまえのせぼねにあだ名をつけてやる博士泣きながら  柳本々々
(「そういえば愛している」/『川柳サイド Spiral Wave』より)

「川柳スープレックス」に作品を発表すると、川合がどんな文章を付けてくれるだろうという楽しみがある。人によっては自作に何も付けてほしくないという向きもあるかもしれないが、川柳に別のものを付けることによって立ち上がってくるものがある。

「二次創作」という方法がある。
アニメなどでは当たり前になっているのかもしれないが、「二次創作」について東浩紀の『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)ではこんなふうに書かれている。

「二次創作とは、原作のマンガ、アニメ、ゲームをおもに性的に読み替えて制作され、売買される同人誌や同人ゲーム、同人フィギュアなどの総称である。それらはおもに、年二回東京で開催されるコミケや、全国でより小規模に無数に開催されている即売会、またインターネットなどを介して活発に売買が行われている」
「原作もパロディもともに等価値で消費するオタクたちの価値判断は、確かに、オリジナルもコピーもない、シミュラークルのレベルで働いているように思われる」

「二次創作」が活発に行われているのは短歌においてである。
ネットで検索すると、すでに2013年に「進撃の巨人」をもとにした二次創作が短歌で作られている。
川合は短歌も作っているから、「二次創作」のことはよく知っているだろう。
川合の川柳にはいろいろな方向性があるが、川柳における二次創作の試みもそのひとつであって、今後彼がどんなふうに新しい領域を切り開いてゆくのか注目している。

2017年4月14日金曜日

『熊本地震の記憶』(熊本県川柳協会 編)

三月末、島原・天草の旅に出かけた。
博多で「かもめ」に乗り換え、諫早からは島原鉄道で島原まで。「かもめ」なのに車体に燕の絵があるのが不思議だったが、スマホで検索すると旧つばめの車両も一部使われているということで納得する。島原鉄道は「しまてつ」と呼ばれて地元では親しまれているようだ。
島原は湧水のきれいな町である。
島原城でキリシタン資料を見たあと、武家屋敷や鯉の泳ぐ町を散策。水屋敷と四明荘ではゆっくりできた。
翌日は雲仙に向かった。
島原から遠くに見えていた平成新山がバスの車窓から間近に見えた。
普賢岳の噴火から25年以上が経過した。噴火でできた山が平成新山である。
雲仙では仁田峠からロープウェイで山上へ。ガスで景色はまったく見えなかったが、気温が低く霧氷を見ることができた。
あと、地獄めぐりと「お山の情報館」で地学と火山について詳しく知ることができた。
島原に来たからには、やはり原城は見逃すわけにはいかない。
石垣のほかは何も残っていないと分かっていたが、その場所に立つことで感じられるものがある。例年なら桜の時期のはずなのに花は一輪も咲いていなかった。天草四郎。海がひたすら青かった。
口之津港からフェリーに乗って天草へ渡る。
天草では本渡から周遊バスに乗り、キリシタン関連のコースを巡った。
天草コレジヨ館、﨑津教会、天草ロザリオ館、大江教会。
明治期、北原白秋・吉井勇・与謝野鉄幹・平野万里・木下杢太郎の五人は「五足の靴」の旅で大江教会のガルニエ神父を訪れている。この旅から白秋の南蛮趣味が生まれ、歌集『邪宗門』に結実したことはよく知られている。
最終日、天草の本渡から快速バスで熊本へ出た。

旅行から帰って、キリシタン関係の本を読んでみた。
特に天正少年遣欧使節に興味を持ったので、三浦哲郎の『少年讃歌』を読んでいる途中。長い小説なので、少年使節はなかなかローマに到着しない。
伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノの四人のうち、ミゲルは棄教したと伝えられ、ジュリアンは弾圧で穴吊りの刑を受け殉教したという。ジュリアンと同じ刑を受けて棄教したのが、遠藤周作の『沈黙』に出てくるフェレイラ神父である。

地元の人には当然のことだが、島原は長崎県、天草は熊本県である。
本日4月14日は熊本地震からちょうど一年目になる。
熊本在住の川柳人・田口麦彦さんから『熊本地震の記憶』(熊本県川柳協会 編)を送っていただいたので、この句集を紹介しておきたい。
「まえがき」には「熊本に住む私たち川柳人は、熊本地震の被害者であり、経験をした証言者でもある」「それぞれが脳裏に刻み込んだ『証言』を読み込んだ句を作っている。この記憶を吟社の枠を外して熊本県の川柳人という大きなくくりでまとめ、後世に残すことが絶対的な義務であると考え、この本の出版となった」とある。
発行者・熊本県川柳協会。編集は黒川孤遊・井芹陶次郎・津下良。
写真も多く使われていて手に取りやすい。10句紹介する。

いつもの城はいつもと違う空を向く   黒川福
平凡は非凡と思うあの日から      原萬理
解体を待つ家魂のぶらり        阪本ちえこ
暗闇で聞くクマモトのうめき声     黒川孤遊
苦しみを巻いて餃子を食べた朝     上田美知子
全国に地名知れたか益城町       菊本千賀子
仮設入居感謝する人拒む人       鷲頭英司
ストーカーのように余震が迫ってくる  前田秋代
天変地異地球も生身なんだろう     久保洋子
風船を上げて小さな仮店舗       小島萌

巻末に熊本県川柳協会会長の古閑萬風が「ごあいさつ」として次のように述べている。
「この川柳句集は、熊本県在住の川柳作家が、自分の心や身体に刻み込んだ地震の恐怖、復興への気構えなどを、十七音の世界で鮮烈に詠った句を集大成したものであります。熊本日日新聞社、益城町役場、熊本市役所、熊本総合事務所、出水神社(水前寺公園)のご協力をいただき、川柳に加えて写真も数多く使い、ビジュアルな句集としてまとめ、地震の記録として語り継いでいける形になっています」
「災害に直面した時の人間がそのまま詠われているのも、人間を詠む川柳ならば、でしょう。『川柳で見た熊本地震』として記憶にとどめていただければ幸いです」

2017年3月31日金曜日

墨作二郎を偲ぶ会

本日は「墨作二郎を偲ぶ会」に126名のご参加をいただき、ありがとうございました。
森中恵美子さんのお心のこもったお話のあと、私の方は墨作二郎の長年に渡る川柳活動をレジュメに従って改めて振り返ってみたいと思います。
墨作二郎さんは大正15年11月、大阪府堺市に生まれました。堺出身の文学者といえば詩人・安西冬衛が有名です。この会場の近くのザビエル公園に冬衛の詩碑「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」が建立されています。作二郎さんは昭和9年、安西冬衛と会いました。作二郎さん九歳のときです。
昭和14年、堺市立商業学校在学中に文芸部に参加。父の兄の友人だった大野翠峰に師事、俳句をはじめました。翠峰は堺で「半夜」を創刊した俳人です。
昭和21年5月、河野春三の誘いを受けて作二郎さんは現代川柳をはじめました。
俳句から川柳への移行について、作二郎さんは「川柳春秋」209号(1972年11月)でこんなふうに書いています。

《翠峰から連絡があって「曲水の宴」を開くから来るようにと云って来たのは二十一年五月。私は遅れて行った。(中略)宴が終り高札の裏にその日の作品を書くことになった。私も求められて
蝶々の黄、身に一片のパン冴ゆる
と書いた。翠峰は「作二郎君、これは俳句ではない、この様な俗臭を私は教えなかった筈だ」と云った。私は瞬間これが俳句でないなら俳句を止めても良いと思った》

また、「バックストローク」7号・8号(2004年7月・10月)の特集「戦後川柳の軌跡を辿る―墨作二郎に聞く―」では私と石田柊馬さんで作二郎さんにインタビューをしました。そのときの録音テープがありますので、しばらくお聞きください。

〈堺に月蔵寺というお寺があって、そこに小山があって川が流れている。京都の城南宮と同じような庭があったんです。翠峰さんに「こんなものは俳句ではない」と言われて、「いいですよ。それでは帰ります」と言って帰ったんです。そのとき和田三元(「番傘」系の川柳人)もいて、あとで河野春三に連絡して、いっしょに私をたずねてきたんです。「おもしろいやないか。いちど思い通りにやってみたらどうか」というのが川柳の出発点になるんじゃないかと思います。
昭和23年に出した『陸橋』というのは俳句の句集ですが、これを持って安西冬衛さんのところに行くと、「こんな短い詩型でこの世の中の移り変わりを書けるはずがない。くよくよせずに、現代詩をやれ」と言われたんです。安西さんも曲水の宴に出ていたんですね。昭和24年に僕が北海道に行くときに北海道の詩人に紹介状を書いてくれました。〉

もっと録音を聞いていたい気がしますし、その方が私も楽なのですが、そういうわけにもまいりません。この会場には俳人の方はおられないと思いますが、もし「半夜」の方がおられたら気を悪くなさらないでくださいね。
作二郎さんの話のポイントは二つあると思います。
ひとつは「俳句から川柳へ」という道筋です。時実新子さんの場合は最初、短歌を作られたようですが、短歌の先生からこんなのは短歌ではないと言われたようです。新子さんは「短歌から川柳へ」という道筋ですが、いずれの場合も、川柳の方に受け入れるだけの自由度があったということですね。
もうひとつは作二郎さんの川柳への現代詩の影響です。川柳というジャンルの内部からの自律的発展ということはなかなか起こりにくく、他ジャンルの影響や刺激を受けて川柳が新たな展開を見せることがあります。川柳というジャンルのなかで詩を書くということになるわけで、詩性というのは常に川柳革新の契機でありました。
けれども、現代詩の影響というものは作二郎さんの場合にもすぐに直接的にあらわれたわけではありませんでした。『凍原の墓標』(昭和29年)は作二郎さんの最初の川柳の句集ですが、興味深いことに定型をきっちり守っています。

凍原の墓標故郷に叛き得ず 

その次に「長律の時代」が来ます。ここには、はっきり現代詩への志向が見られます。

埋没される有刺鉄線の呻吟のところどころ。
秩序の上を飛んでゐる虫のきらめく滴化

新鮮なる鍋底がかぶさつてゐるとしたら。砂
上の焚火をかこんでゐる天使の群の憂愁

雨の中に壁がある。スキャンダルのすば
らしい断層なのだろうか

砲門にもたれるアルレキンの口笛は戦い
の命令にうららかな冬日

前の二句は『川柳新書・墨作二郎集』(昭和三十三年四月)から、後の二句は『アルレキンの脇腹』(昭和三十三年七月)からです。行分けはもとの句集そのままにしてあります。
作二郎さんはよく「作二郎の作品が川柳ではないと言われても痛痒を感じない。しかし、作二郎の作品に詩がないと言われるなら問題だ」と言っていました。
あと作二郎さんの言葉としてよく知られているものに「川柳は寛容なる広場」というのがあります。あちこちで語られていますが、『川柳新書』「作者のことば」では「兎もあれ川柳とは(私にとって)『寛容なる広場』」と書かれています。作二郎さんの作品を当時の川柳界全体が認めたわけではありませんが、河野春三をはじめとする周囲の川柳人には作二郎を認めるだけの自由度があったということでしょう。
作二郎さんの作品のうちでもっとも有名なのが次の作品です。

鶴を折るひとりひとりを処刑する 

昭和47年、平安川柳社創立15周年記念大会で秀賞を獲得した句です。このとき作二郎さんはもうひとつ「能面の起きあがるとき地の痛み」という句も詠んでいます。
作二郎の円熟期を代表する句集が『尾張一宮在』(昭和56年5月)でしょう。

ばざあるの らくがきの汽車北を指す
蝶沈む 葱畠には私小説
かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ
四月馬鹿 シルクロードを妊りぬ
あきらかに飢餓 水色の相聞歌

平成7年、阪神淡路大震災が起こりました。このとき作二郎は震災句を集中的に詠み、句集にまとめています。

春を待つ鬼を瓦礫に探さねば     『墨作二郎集・第三集』平成7年9月

この句には私は個人的な思い出がありまして、この句を発句として歌仙「鬼を瓦礫に」を巻きました。震災のあとですから鬼というと死者の霊魂と受け取られると思いますが、句集のあとがきには「この場合の鬼は善であって力であって希望であって親しき仲間である」と書かれています。

椿散華こおどり 白鳳音階図     『遊行』 平成8年10月
快晴の森の記憶の阿修羅像      『伎楽面』平成11年6月
神獣鏡は指切りげんまん 青ぴいまん 『龍灯鬼』平成12年6月
伐折羅大将泰然 雨降るアルバム   『伐折羅』平成13年2月

作二郎さんが常におっしゃっていたのは「これからの川柳」ということです。彼は常に川柳の未来を考えていました。作二郎の行なったことをそのまま継承するのではなくても、彼の川柳精神を新しい時代に即して受け継いでゆくことが私たちの与えられた課題だと思います。作二郎さんはたとえば兵頭全郎などの若い世代の川柳人の作品にも注目していました。本日は若い世代の川柳人にも墨作二郎という川柳人の軌跡を知っておいてほしいという気持ちでお話させていただきました。
ごいっしょに「これからの川柳」を切り開いてゆきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。

(「墨作二郎を偲ぶ会」2017年3月30日、堺市福祉会館大ホール)

2017年3月24日金曜日

俳句と川柳の取り合わせ―「川柳ねじまき」第3号

名古屋の「ねじまき句会」から「川柳ねじまき」第三号(発行人・なかはられいこ)が発行された。
巻頭、なかはられいこの20句は「ととととと」というタイトルである。

代案は雪で修正案も雪        なかはられいこ
きんかんとぎんなん次男と長男に  
電柱と岸辺シローは出会えたか
ふくろうとまめでんきゅうが鳴き交わす
無花果と石榴どちらが夜ですか

一読して「取り合わせ」の句だということが分かる。
ふつう取り合わせは俳句で使われる手法である。
なかはらのページのコメントを担当している二村鉄子はこんなふうに書いている。
「取り合わせは即かず離れずのことばとことばを掛け合わせて、思ってもみない効果を生むことを期待して書かれることが多い。読者に対して祈るような気持ちだ。けれど、なかはらの取り合わせは、確信犯的で、バナナのたたき売り的だ」

代案  ― 雪
修正案 ― 雪

きんかん(金柑) ― 長男(あるいは次男)
ぎんなん(銀杏) ― 次男(あるいは長男)

電柱 ― 岸辺シロー(固有名詞)

ふくろう(梟) ― まめでんきゅう(豆電球)

無花果 ― 夜(または昼)
石榴  ― 夜(または昼)

ひらかな・漢字・俳句の季語に相当する語などを使いながら様々なヴァリエーションを展開している。
俳句に限らず、川柳でも取り合わせの句は存在するが、川柳の場合、それは「取り合わせ」ではなくて「飛躍」だと私は思っている。川柳では題詠が多いから、「題」(発想の起点)からどれだけ飛躍するかが腕のみせどころとなる。

妖精は酢豚に似ている絶対似ている   石田柊馬

たとえばこの句の場合、「妖精と酢豚」の取り合わせではなくて、「妖精」という題から「酢豚」に飛躍したのだ。しかし、「AとBの取り合わせ」と「AからBへの飛躍」は結果的に区別のつかないものになってしまう。
今回のなかはらの作品の場合、俳句の取り合わせを意識しながら、更に手のこんだものになっているように思われる。

「ととととと」というタイトルについて。
「の」とか「は」という助詞から川柳性を説明しようとする文章を見かけることがある。
たとえば「は」は川柳の基本文体である「AはB」という問答構造にしばしば使われる。川柳人にとって使いやすい助詞なのだ。

母親はもったいないがだましよい

なかはらは「と」に川柳性を発見したのかもしれない。
「と」はコラボにつながってゆく助詞である。
そういえば、一昨年大阪で「とととと展」というイベントがあった。
安福望の『食器と食パンとペン』の発行を記念して大阪・中崎町で開催され、岡野大嗣・安福望・柳本々々の鼎談があった。岡野の短歌、安福のイラスト、そこに柳本が漫画やアニメの例を加えながら作品を読んでいった。
言葉に言葉を取り合わせるのではなくて、言葉にイラストや絵を取り合わせているのであって、「と」はリンクの思想と結びついている。

さて、話を「ねじまき」に戻して、なかはらの句にコメントを寄せている二村鉄子の句を紹介しておこう。

まずは資料請求たんぽぽ咲く国へ    二村鉄子
えびせんべいいかせんべいと合併症
ヒメムカシヨモギ気圧の谷にあり
きれいでなければ夜景でないと夜
まるで銀杏まばたきを引き換えに

俳人の二村が取り合わせをあまり使わず、川柳人のなかはらが取り合わせの句を書いているのを面白く思った。

先日、名古屋の「ねじまき句会」にはじめて参加した。
作品は事前に出句しておいて、当日はひたすら句の読みに終始する「読みの句会」である。印象的だったのは、句の言葉を正確に読んでゆこうという雰囲気があったことだ。
川柳の読みでよく経験するのは、句の読みを提示する前に、好き嫌いや自分の思いの開陳が多いということだ。それは句を読んでいることにはならないので、句から触発された自分の思いを読んでいるのだ。
「ねじまき句会」で使われていたことばに「親切な読み」というのがあった。句の言葉に直接ない意味まで忖度して読んでしまう態度を指して批判的に使われていた。それだけ、句の読みは言葉に則して厳密に読まれていることになる。
ちょうど「短詩時評」(3月18日)で柳本々々が「ねじまき紀行」のなかはらの発言を「表現者の覚悟」ととらえた文章を読んだ。これもひとつのシンクロニティだと思った。

2017年3月18日土曜日

川柳は「川柳」を問う―『俳誌要覧』2017年版

『俳誌要覧』(東京四季出版)が発行されて、俳句を中心とした短詩型文学の現在を展望するのに便利なものとなっている。【平成28年の俳句界】岸本尚毅、上田真治【俳文学の現在】〈川柳〉柳本々々〈連句〉小池正博〈研究〉安保博史【句集回顧】関悦史、依光陽子【評論回顧】青木亮人、外山一機【いま、短歌が気になる】堀下翔、鴇田智哉【受賞作を読もう】生駒大祐【俳句甲子園をふりかえる】黒岩徳将。これに鼎談と年代別自選句一覧、結社同人誌資料などが付く。

まず、俳句界の現在を知る意味で上田信治の〈「中心」が見えない〉を興味深く読んだ。
上田は「同時代の俳句をいっせいに価値づけるような、中心性や求心力が失われて久しい。いや、そういったものは、もう現れないのかもしれない」という現状認識に立った上で、「かつてあった求心力の消失によって生じた空白を埋めるような、いくつかのモーメント」を挙げている。
「トリックスターの活動」として上田が挙げているのは、テレビ番組プレバトの夏井いつき、「屍派」の北大路翼、『俳句を遊べ!』の佐藤文香、「東京マッハ」の千野帽子・長嶋有などである。「トリックスター」というのは悪い意味ではなく、「従来の境界線を超えて活動する書き手たち」という意味で使われているようだ。
次に上田が挙げるのは「二十代の俳人たち」で、俳句甲子園出身者が多い「群青」、若手が多く入っている「里」などの若手俳人。「彼ら世代が、特定の俳人の指導を受けることなく、作家であろうとする意志は、動向として明確にあらわれている」と述べられている。
さらに、中心性が失われた時代における「個々の俳人による孤独な探求」として、中田剛、堀下翔、澤好摩などの名が挙げられている。俳句史への再接続が個々の探究として試みられていると言うのである。
上田が分析しているような俳句界の現在は、俳句の世界を外から眺めている私にも納得できるものだ。むしろ外部の読者の目には、上田の挙げているような俳人の活動の方が俳句の現在、俳句のセンターとして目にうつってくる。句集回顧で関悦史や依光陽子の挙げている句集のいくつかは、この時評でも紹介したことがある。

ひるがえって、川柳の現在はどうなっているだろうか。
そもそも「川柳界」というものが今でも存在しているかどうかが疑問である。中心とトリックスターどころの話ではない。そもそも中心がなければトリックスターの活動も意味をなさないから、トリックスター的な動きをする川柳人も見られない。孤独な探求にならざるをえないのである。
ブログやツイッターに活路を求めるのもひとつの方法だが、外山一機が「ネット上の評論」に触れているのに注目した。ネットの読者は自分に都合の良いように記事を選り分けて読んでいる。そのような読者の自己愛に耐えてネットに書き続けるには読者の自己愛を超えるほどの書き手の自己愛が必要になると外山は言う。外山は柳本々々の名を挙げている。
「週に数回という猛烈なペースで記事を更新し続けているにもかかわらず、柳本の言葉が示唆に富んでいるのは、柳本が何よりもまず自分のためにこそ書いているからだろう。柳本の言葉が輝くのは、たぶんに躊躇しながら、しかし、はっきりと持論を提示したときだ」
(外山の文章には一か所だけ誤認があり、「おかじょうき」は歌誌ではなくて川柳誌である。)

では、柳本の文章「現代川柳を遠く離れて」を読んでみよう。
柳本は《川柳とはいったい何か》という川柳のジャンルそのものを問い返した句集として、兵頭全郎『n≠0 PROTOTYPE』と川合大祐『スロー・リバー』の二冊を挙げている。

おはようございます ※個人の感想です   兵頭全郎
ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む  川合大祐

兵頭の句では「おはようございます」という普遍的・絶対的な言説に「※個人の感想です」という個人的・相対的な注釈が添えられることによって、川柳ジャンルそのものに任意性を持ち込んでいる。川合の場合はもはや意味が成立しないような場所から一句が始まっている。「ぐびゃら/じゅじゅべき/びゅびゅ」という意味のとれない言葉の系列のなかに「岳/壁に/挑む」という意味のとれる言葉の系列が挟みこまれている。柳本はそれを縞馬の縞にたとえ、どちらの縞をとるか、どのようにとるかが問われているのだと言う。
「兵頭全郎と川合大祐、ふたりの川柳作家に共通しているのは、読者を巻き込んでの創作行為としての川柳を提出している点にある。その川柳を読んでしまえば、読者自身が立ち位置を問われることになる。そういう川柳を考える川柳の現場がこの二冊にははっきりとあらわれている」

このほかに柳本は岩田多佳子『ステンレスの木』、『15歳の短歌・俳句・川柳』全3巻、久保田紺『大阪のかたち』、熊谷冬鼓『雨の日は』などを取り上げたあと、「現代川柳にとって2016年は、川柳というジャンルの再吟味の年であったのだということだ」と述べている。(まだ発行されていないので詳しくは言えないが、今月末に刊行予定の「川柳カード」14号でも柳本は兵頭・川合・岩田の三冊の句集を取り上げて論じている。川柳はようやく句集の時代に入ったのである。)
最後に柳本は野沢省悟が川柳誌「触光」で募集した「高田寄生木賞」に触れている。今回、この賞は「川柳に関する論文・エッセイ」を選考の対象としている(発表は5月ごろになるようだ)。そして、柳本はこんなふうに書いている。
「川柳というジャンルのなかでいろんな人間がそれぞれの場所からこれまでとは違った光を灯そうとしている。」「2017年がその光を迎えとるだろう」
私は柳本ほど楽観的にはなれないが、少しは希望をもってもいいのかもしれないと思うのである。

2017年3月12日日曜日

「場」と「プレーンテクスト」

先日の「大阪短歌チョップ2」のトークを聞いていて、「場」ということについて改めて意識させられた。
短歌の「場」とは、テクストに読みの方向性を与えるもので、作者・性別・職業・結社など作者に関する情報も「場」である、ということだった。『岩波現代短歌辞典』の加藤治郎の説明が引用されていたが、ここでは『現代短歌ハンドブック』(雄山閣)から引用してみよう。執筆者は栗木京子。
「短歌作品を鑑賞する際の助けとなる、作品に関する情報や背景のことを場と総称する。短歌は一首一首が独立した作品ではあるが、あまりに詩型が短いため内容を把握しきれない場合が多い。そのとき作者名や作者の経歴、歌が作られた場所や時期、歴史的背景や社会状況などが添えられていると、鑑賞の大きな助けになる。こうした情報は、連作の場合は表題や詞書、あるいは前後の作品との関連によってもたらされる。また、歌集ではさらにそこに作者略歴やあとがきが加わって、場の及ぼす力が強まることになる。こうした場の威力が最も発揮されるのは、写実主義の方法においてである。すなわち、作中の〈われ〉が作者のことを指し、詠われた内容が事実に基づくとする作歌理念のもとでは、場は最も有効に機能する。だが、前衛短歌が作者と作品の間に『虚構』を導入して以来、場の影響力は一義的なものではなくなってきている」
長くなったが、このあとの話の前提として上の内容を押さえておきたい。
「大阪短歌チョップ2」ではこのような意味での「場」について直接話し合われたわけではなかったが、私が連想したのは俳誌「オルガン」8号の対談「プレーンテキストってなんだろう」のことだった。生駒大祐と福田若之の対談で、生駒が「プレーンテキスト」好みを表明している。話は「オルガン」6号に遡り、8号の対談でも引用されているが、話の順序として6号の対談部分を紹介しておこう。

生駒 僕は、俳句ってさらりとしたものだと思ってるんです。活字がなかったら、俳句って、もっと、どろどろしたものっていうか、もうちょっと土俗的なものに近づいていく。そうなっていたら僕の好きな俳句は生まれなかった。プレーンテキストに近づいてくれたから僕の好きな俳句が生まれていて、それは重要なことだと思う。
田島 プレーンテキストって?
生駒 俳句がある面白い情報を持っているとして、それがノイズなく仮に伝わったら、という仮定の下での表現形態ですかね。
田島 活字で書かれていようが、書として書かれていようが、どちらでも伝わってくる同じ部分をプレーンテキストと呼んでいるわけだ。
生駒 はい。Wardとかで、コピーして貼り付けるときに「プレーンテキストで貼り付け」っていうのがあります。それを念頭に置いています。
宮本 それは自分の頭のなかにしかないのでは?
生駒 難しいですね。ある面白い発想が生まれたとして、それが言葉に返還される過程で物の面白さに変容する。僕はここの時点の面白さをプレーンテキストと呼んでいて、それが文字として他者にわかる形で書かれた時点で視覚的なノイズが入る。

コンピュータに詳しくないので、私にはよく分からないところもあるが、ウィキペディアでは次のような説明がされている(専門用語が煩雑なのでところどころ省略して引用)。

「プレーンテキスト (plain text) とは、コンピュータ上で文章を扱うための一般的なファイルフォーマット、または文字列の形式である。ワープロで作成した文章とは違い、文字ごとの色や形状、文章に含まれる図などといった情報を含まない。プレーンテキストに対して、文字ごとの色や形状、文章に含まれる図などといった情報を含む文章のことをマルチスタイルテキストと呼ぶ。プレーンテキストには文字情報以外の情報は一切含まず、テキストデータのみで構成されている。格納できる情報が純粋にテキストのみに限定される為、文字の強調や加工や言語情報、フォント情報を持つことが出来ない。これらの情報を格納する場合は、HTMLのような工夫が必要になる」

こういうものがプレーンテキストだとすれば、読者が実際にテキストを読む場合にはそこにさまざまな「ノイズ」が加わることになる。生駒はそのようなノイズとしてフォントや字体、句集・歌集などにおける表紙のあり方、作者の情報、境涯性など、読みに一定の方向性を与える一切のものを挙げている。一冊の句集を編集する場合にはテキストにさまざまな加工をすることになるが、それを生駒は「ノイズ」ととらえていることになる。
そして、興味深かったのは対談者である生駒と福田のプレーンテキストに対するスタンスの違いである。

福田 僕は、外的要因というのは、絶対に切り離せないものだと思っているんです。だから「プレーンテキスト」という考え方を受け入れがたいものに感じていました。でも、到達しえない点でしか実現しえないんだと考えれば、虚の概念としてそれを受け入れられる気がしました。僕にとってそれを目指すことがやりたいことであるかどうかは別として、理解することはできる。
生駒 そういう意味では絶対的なプレーンテキストっていうのはない。むしろ僕はどこかでそれを愛しているのかもしれないです。収束に近づけていく所作そのものを。

今回は引用に終始して時評になっていないのだが、読みに方向性を与えるものをノイズととらえるのはおもしろいなと思った。生駒のいう「プレーンテキスト性」とはズレるのかもしれないが、私自身の問題意識にひきつけると、最初に引用した「場」の問題と結びついてゆく。作品をどう読むかという場合、短詩型ではむしろそのようなノイズを手がかりとして読んでゆくことが多いのではないだろうか。逆に、作者論的な読みを排除して読者論的に読もうとすると、「読みのアナーキズム」と批判されたりする。
川柳では作者と結びつけて作品を読む読み方が依然として強く、その一方で作者とは直接関係ない言葉の世界で飛躍するテキストも現れてきている。
うまく言語化できないが、作者とテキストをめぐってはそれぞれのジャンルの特殊性をはらみながら、二つの流れがいま短詩型の世界でせめぎ合っているように感じる。

2017年3月3日金曜日

「大阪短歌チョップ2」という場

2月25日、大阪難波の「まちライブラリー」で「大阪短歌チョップ2」が開催された。2014年7月の第一回にも私は参加して、この時評でもレポートを書いているが(2014年7月26日)、今回もたいへん刺激的なイベントだったので報告しておきたい。
大会パンフの「ご挨拶」には次のように書かれている。
「この三年でどれだけのことが起こり、そして何が変わったのか。たとえば、大阪・中崎町に詩歌を主に扱う古書店『葉ね文庫』がオープンし、多くのお客さんで賑わっています。たとえば、安福望『食器と食パンとペン わたしの好きな短歌』(キノブックス)が発売され、多くの読者が安福さんの絵と、安福さんが選んだ短歌に魅了されました。どちらも前回の大阪短歌チョップのときにはなかったもので、三年前には想像できなかったことが今、起こっています」
「葉ね文庫」には川柳の句集や同人誌を置いてもらっているし、安福さんのイラストには最近では川柳作品も登場するようになった。短歌中心のイベントではあるが、川柳もその恩恵を受けていることがわかる。

会場には午後に着いたが、天野慶のかるた体験コーナーがはじまっていた。天野慶には一昨年の「川柳フリマ」のときにゲストに来てもらったことがある。
13時30分からのトークセッションは「あつまる、ひろがる~短歌の「場」の現場~」というテーマ。司会の土岐友浩は事情により欠席だったので光森裕樹が司会をつとめた。パネリストは荻原裕幸・田中ましろ・石井僚一。
まず石井僚一が若いのにびっくりする。石井は「短歌研究新人賞」を受賞したあと虚構論争が巻き起こったことで著名である。昨年の「川柳フリマ」で山田消児をゲストに迎えたときにも石井の短歌が話題になった。また、石井僚一短歌賞を自ら創設したことも波紋をよんだ。短歌賞に名前を冠しているので、「もう死んだ人かと思った」と言われたこともあるそうだ。北大短歌会で活躍しているというから若いはずだ。こんな人が川柳にも五、六人ほしいと思った。
司会の光森はテーマである「場」の説明からはじめた。『岩波現代短歌辞典』によれば、短歌の「場」とは、読み方に方向性を与えるもの、作者・性別・職業・結社など作者に関する情報も「場」である。「場」は一般にはメディアとか媒体という意味でも使われる。それらを含めて「場」の問題を考えてゆくということらしい。

まず、荻原について。光森はキイワードとして①インターネット②歌葉新人賞③短歌ヴァーサスの三点を挙げた。以下は、荻原自身の発言から。
荻原が同人誌「フォルテ」を立ち上げたのは、短歌研究新人賞を受賞したあと、総合誌に発表の場がないなら自分たちで同人誌を作ろうということだったらしい。ところが80年代後半、総合誌が彼らに発表の場所を提供しはじめる。既存の場ではできないと思っていたことが、歌壇に取り込まれていくという話だった。

次に、田中ましろについて。光森の上げたキイ・ワードは①うたらば②かたすみさがし③短歌男子。以下、田中の発言から。
「うたらば」は作品をネットで募集して選んだ歌に写真をつけてフリーペーパーを発行する。「短歌を知らない人に、短歌の面白さを伝えたい」ということで始めた。「フリーペーパーうたらば」のほかに「ブログパーツ短歌」も募集していて、その特徴として田中は次の5点を挙げた。①共通認識をフックにして読者を納得させる②読者の脳内に想起させるイメージが魅力的③切り取られた31文字の前後にある物語を考えさせる力がある④作中主体がどうしようもないほど人間らしくて好感が持てる⑤面白い。
フリペの場合はもう少し世界観を入れてゆくが、とにかくどう話題を作ってゆくか、イベント化するかを考えているということだった。

三人目、石井僚一について。光森のキイ・ワードは①短歌研究新人賞②石井僚一短歌賞③毎月歌壇。以下、石井の発言から。
2014年4月に「北海道大学短歌会」に入会。「父親のような雨に打たれて」で短歌研究新人賞を受賞。「石井は生きている歌会」を各地で開催。ネットプリント「毎月歌壇」の選者を谷川電話とつとめる。石井僚一短歌賞をはじめた理由をいろいろ言ったのは後づけで、「できるだけやれることはやっておこう」という気持ちからだったという。

ここで私はトーク会場から中座して、二階の「葉ねのはなし」に移動した。池上規公子の話を聞きたかったからだ。葉ね文庫は人気があるので、けっこう人が集まっていた。葉ね文庫を開店した経緯、なぜ中崎町を選んだか、理想とする本屋のイメージ、影響を受けた書店などについて語られた。これまで断片的にしか知らなかったことを、改めて彼女自身の口から聞くことができてよかった。

再びトーク会場に戻ると、石井が「歌会」をイチ押ししていることをめぐって話が進んでいた。なぜそんなに「歌会」がいいのかという疑義に対して、石井は自分にとってネットはすでに前提として最初から存在していたので、そこから「歌会」の方へ向かったと答えた。荻原にとっては「歌会」の方が前提としてあって、そこからネットの可能性の方に向かったという点が対照的だ。
田中ましろはツイッターなどで歌を発表するのは以前に比べて減る傾向にあり、ツールの使い方が変化してきているのではないかと述べていた。
あと、私が席を外していたあいだに、自分の名前を冠する短歌賞を自分で創設することの是非をめぐって応酬があったようだ。

最後に、光森によるまとめ。
光森はいま沖縄に住んでいて、沖縄のひとは「本土」「内地」という呼び方をするが、光森自身は「本土」という言い方は好きではなく、「内地」という言い方をする。沖縄は「内」に対して「外」に位置するが、「外」はさらに外延に位置するものからは「内」への通路になるわけで、短詩型の場合も同じように考えることができるのではないか、ということだった。

あと、もうひとつのトークセッション「ムシトーク!~新しい短歌こっちにもあります~」や「安福望のライブドローイング」などを見て、最後に飯田和馬と岡野大嗣の朗読を聞いてから会場を後にした。前回は俳人の姿も見かけたのに、今回は俳人・川柳人の参加がほとんどなかったのが残念な気がした。いまどこでどんなことが起こっているかを知っておくことが重要なのだ。イベントをかげで支えた牛隆佑をはじめとするスタッフのみなさんにも敬意を表しておきたい。

2017年2月24日金曜日

矢本大雪の残した仕事

今年1月に矢本大雪(やもと・だいせつ)が亡くなった。
大雪は1950年生まれ。弘前川柳社、かもしか川柳社、雪灯の会、川柳誌「双眸」などで活躍した。私は大雪と直接の面識はないが、彼が「双眸」の編集をしていたときに原稿依頼があり、お世話になった。
手元に句集『火輪』(2003年12月)がある。

ゼフィルスをはらむ真冬のポストかな   矢本大雪
まっくらな胸で失禁する椿
蝶を握りつぶす説明書のとおり
吹雪呼ぶ切手を舐めてもらうため
慰謝料のかわりに添削してやろう

季語や切れ字が入っているから、一見すると俳句かと思いたくなるだろう。
大雪自身、あとがきで次のように書いている。

「私の作品には季語が多く用いられる。私の持つ叙情性がまだ多くを季感に求めているからだろう。季感にもたれすぎない叙情が表現できれば望むところなのだが、言葉でいうほど簡単ではないと感じている。もちろん私の作品は川柳である」

『火輪』以前に大雪は『新世紀の現代川柳20人集』(北宋社、2001年6月)に「空の花」100句を掲載している。その中の連作「父」から最初の5句を紹介しておく。

あたたかな父の片鱗汽笛だろうか
冷や飯に月のぬけがらそして間奏
かき氷もとの父子に戻れるか
あやとりの川の家系図もほどけ
父にたちこめる狭霧を斉唱す

また、彼は「かもしか川柳文庫」から『オノマトペ川柳辞典』『現代川柳をつくる』『動詞別川柳秀句集かもしか篇』の三冊を出している。
『動詞別…』は川柳誌「かもしか」に発表された作品を動詞別に配列した労作である。俳句では季語によって作品を分類するのが普通だが、川柳では特定の分類法がなく、類題・句題別の分類では雑詠の位置づけが困難になる。大雪は「川柳作品のおよそ八割強が動詞によって区分できる」と言いうが、同時に「動詞で川柳を分類するのは、一つの便法に過ぎない」とも述べている。
分類は大雪が残した重要な仕事のひとつである。
「双眸」でも彼は「川柳レトリカ」という連載でキイ・ワードの面から現代川柳作品を整理しようとしている。項目ごとに語義・象徴性・用例がまとめられている。『セレクション柳論』(邑書林)を編集したとき、「川柳レトリカ」から「青・蒼」「穴・孔」「蟻」の三項目を掲載させてもらった。たとえば、「青」の項目では次の作品が用例に挙げられている。

あすは知らず裸体の青きまま睡る    西条真紀
ナイフ研ぐかすかに青を零す指     松永千秋
一滴の水で研いでる青いナイフ     井出 節

「双眸」6号(2003年11月)は大山竹二特集である。
拙論「大山竹二における人間の探究」、野沢省悟「蚊を叩く―大山竹二句集を読む―」、矢本大雪「大山竹二作品ノート」などのほか「大山竹二略年譜」「大山竹二作品100句」、資料「大山竹二の川柳観」が付いている。中身の濃い特集だった。

その後、彼は川柳に意欲を失ったのか、俳句を主なフィールドとするようになった。俳句に移行した川柳人はこれまでにもいるが、私は複雑な気持ちでその光景を眺めていた。ときどき、「垂人」などで大雪の名を目にすることがあり、京都の川柳誌「凜」にも彼の句評が掲載されていた。「凜」68号(2017年1月)に掲載された文章は、大雪の絶筆なのかもしれない。辛口の句評になっている。

「川柳は最初から言葉で語り、説明しようとし過ぎてきた。それが伝える方法だと信じてきたからである。しかし、他人に句の内容を伝えることは、語ることじゃないと気づくべきだ」
「発想はものすごくいい。ただし、しじまがおしゃべりしすぎだ。これは妥協で、おそらくここに取り上げるべき言葉を見つけるのは難しい。何年もかかるかもしれない。それがふっと浮かぶとき、我々は川柳の恩寵を感じられるのだ。でも、正解はないのだろう」

2月の点鐘散歩会で京都の何必館に行ったときに北大路魯山人の展示室で魯山人の言葉が掲示されているのに出会った。正確には覚えていないが、「仕事というものはどこまでやらないといけないというものでもない。どこで終わってもそれはそれでいいのだ」というようなことが書いてあった。私はそんなふうに考えることができればずいぶん楽だなと思った。いま、大雪の残した仕事を前にして、この言葉を思い出している。

2017年2月17日金曜日

島田牙城と「里」の俳人たち

俳句同人誌「里」2月号の特集は「還暦15人衆を二度童子として送り出す」となっている。
「里」では今年から、五年に一度、還暦祭を開催するという。対象はその年に満59歳から64歳になる方々。15人の句が各10句ずつ掲載されている。

羽蟻の夜畳に染みの広がりぬ        水内和子
節分を越え執念の季語料る         虎時
嘘と烏瓜人類は必ず滅びる         瀬戸正洋
当尾の地布団にしたるねむり地蔵      木綿
裏山の冬竹青し大川小           原爽風
がめらのかたちごじらにかはるなつのくも  月湖
星座の名すぐに忘れる鍋焼きうどん     森泉理文
喧騒の煮凍りてゐる朝かな         木村蝸牛
椅子の背に背を付けざるを雪しぐれ     島田牙城
冬眠の自分が誰か考へをり         仲寒蟬
蛇穴に入る尻も野心も食み出して      小豆澤裕子
ささめごとして夏月にすはれけり      登貴
風邪薬百の色持つ夜来る          大西龍一
凍星の声聞くことに専念す         六
あすよりは記憶のなかの雪うさぎ      谷口智行

2月11日に「牙城・寒蟬と仲間たちの還暦を祝う夕べ」というパーティが新大阪で開催され、上記の面々(欠席者もあるが)を中心に「里」ゆかりの俳人たちが集まった。私は邑書林から句集を出しているし、「里」も毎号読んでいるので出席させていただいた。知人もいるがハンドルネームのような俳号の方も多くて、どんな人たちかという興味もあった。同じテーブルに藤原龍一郎・小林苑を・谷口智行などがいて、有意義な時間を過ごすことができた。茨木和生の挨拶にはじまりフォーマルな集まりかと思ったが、酒宴が進むにつれ、仲寒蟬が河童の扮装で現われるなど、おもしろい集いであった。中山奈々が立派に司会をつとめた。

折から島田牙城の『俳句の背骨』が発行されたところで、牙城の俳人としての考えがよくわかる評論集になっている。季語やかなづかいに関しては俳句プロパーの問題なのでさておいて、他ジャンルの人間にも読みやすく興味深いのは「芭蕉と現代俳句」「波多野爽波の矜持」の二つの講演である。「里」誌にも掲載されたことがあるので、私も読んだ覚えがある。牙城は次のように書いている。
「俳句といふのは、正岡子規以来、さまざまな考へ方が注入されまして、自分には作れないやうな俳句の世界も多岐にわたつて廣がつてゐます。今や何でもありの時代です。即ち、僕が作つてゐるやうな俳句だけが俳句なのではないのと同じやうに、皆さんが信じて作つてをられる俳句もまた、それだけが俳句なのではないんですね。他者の俳句、僕は大つ嫌ひな言葉なんですけれど、『流派』、この流派とやら譯のわからないものを超えて、ぜひ、さまざまな人の俳句を讀んで頂きたいと思ひます」(「芭蕉と現代俳句」)

「里」2月号に話を戻すと、「この人を読みたい」のコーナーで田中惣一郎が佐藤智子を取り上げている。

春炬燵その人と居てつらくない    佐藤智子
雪まろげ牛乳が手に入ったら
千両を見ると嬉しい鳥だった

俳句をはじめて3年だという。川柳の世界にいると若い感性に触れる機会が少ないので、とても新鮮に感じた。「春炬燵」の句は「その人と居てつらくない?」とつい疑問形に読んでしまうが、疑問形ではなく本当に「つらくない」と断言しているのだ。ふつうは人と居ると何がしかの「つらさ」を感じるのだが、「その人」といっしょに居てつらくないのは稀有のことなのだろう。
田中惣一郎は佐藤智子の句には直接触れずに、こんなことを書いている。
「そうして言葉は流れる。今もどこそこで流れ続けているし、その結果誰かは喜んだり、また殴られたりもするのだが、そういうこととは本当に関係なくただ言葉は流れ続ける。それがやっぱり何だかかなしい気がしてくるのはどうやら、どう考えても俳句のせいであるらしい。
俳句を知った私にとって、言葉とは俳句である」(「殴り返す言葉」)

「俳句雑誌管見」のコーナー。堀下翔が「批評性―外山一機」を書いていて、昨年12月の第25回現俳協青年部シンポジウムで神野紗希が「今の時代が詠まれていると思う10句」の一句として外山の次の句を挙げたことから話を始めている。

赤紙をありったけ刷る君に届け   外山一機

詳細は省くが、「仕掛けを盛り込むあまり批評が何回転もしてしまい、本来の意図が妙に見えづらくなるのが外山の句の特徴」「言葉が消費される時代に、動かしがたく言葉を配置し、その時代の空気感を立ち上げる。たいへんな工夫である」「こうした言語操作をむなしく思う読者もいよう。作者自身がその一人なのかもしれない」などの堀下の指摘を興味深く読んだ。
「俳句」の外山一機の俳句時評、「短歌」の瀬戸夏子の短歌時評は私も追いかけてゆきたいと思っている。

2017年2月10日金曜日

墨作二郎の軌跡

2月9日に「点鐘散歩会」が開催され、京都の「可必館」の展覧会「黒から玄へ MAYA MAXX展」を見に行った。「現代川柳点鐘の会」主宰の墨作二郎が昨年12月に亡くなって、散歩会は今月で最終回になる。21名の参加があった。
「点鐘散歩会」の冊子(平成10年12月発行)を取り出してみると、平成8年3月に発足している。第一回は奈良町から新薬師寺へ行っている。それ以来、毎月実施され、21年間継続されてきたことになる。平日実施のため私はあまり参加できなかったが、世話役の本多洋子・笠嶋恵美子の長年にわたるご努力に感謝したい。
川柳では吟行はやらないのかと時々聞かれることがあるが、散歩会は川柳における吟行の方法であった。川柳は題詠が多いので、机の前で句作にふけりがちである。そこからの脱却を作二郎はめざしたのだろう。
前掲の冊子の序文で作二郎は散歩会の趣旨についてこんなふうに書いている。

「従来の勉強会だけでは不充分だった句作方法をより自在に拡大する方法である。室内と言う限られた場所と動かない体では句作は行き詰まってしまう。悪気を抜き邪気を払うには思い切り外を歩くことである」(「外へ出て書く川柳」)

当日の京都は雪。祇園の表通りから外れて裏通りの路地に入ると風情があった。MAYA MAXXについてはよく知らなかったが、女流画家だった。何必館には北大路魯山人の陶器も展示されていた。出句無制限なので、出された句数は約960句。そこから各自10句を選ぶ。当日の作品から何句か紹介する。

最後だというのになんてセロファンな日    岩田多佳子
明日欠ける部分がないとつまらない      北村幸子
白い蝶くらいなら連れて帰れます       清水すみれ
笑いすぎて龍にもなれない          内田真理子
対話する蟹が大きくなってゆく        街中悠
山奥の人にここから手を出して        辻嬉久子
もっと本気出して二月逃げなさい       八上桐子

ここで改めて墨作二郎の作品を振りかえっておきたい。
以前、私は「墨作二郎の軌跡」(『セレクション柳論』所収)という文章を書いていて、ほぼ同じようなことになるが、ご了解いただきたい。
作二郎といえば、次のような長律作品の書き手として有名である。

埋没される有刺鉄線の呻吟のところどころ。
秩序の上を飛んでゐる虫のきらめく滴化

残酷な市街の回転だと思ふのだろう。曲動と
尖つた鼻の行方には勢一杯の諧調の騎士

新鮮なる鍋底がかぶさつてゐるとしたら。砂
上の焚火をかこんでゐる天使の群の憂愁

『川柳新書・墨作二郎集』(昭和33年4月)に収録されている。「川柳」という固定概念を揺さぶるような、実験的な作品に見える。自由律川柳には短律と長律があるが、作二郎作品は三十音以上あり、長律に属する。これらの作品が発表されたときの衝撃はかなり強烈なものだったのだろう。
もっとも、作二郎は最初から長律作品を書いていたわけではなく、昭和20年代の句集『凍原の墓標』(昭和29年)では「凍原の墓標故郷に叛き得ず」などの定型作品を書いている。この時期の作二郎はスタイルを変貌させたのである。

『川柳新書』には「作者のことば」が掲載されていて、「兎もあれ川柳とは(私にとって)『寛容なる広場』」と書かれている。「寛容なる広場」は作二郎の川柳観を示すものとしてよく知られている。もうひとつ、作二郎が言っていたのは、「作二郎の句が川柳ではないと言われても何ら痛痒を感じない。作二郎の句に詩がないと言われると問題である」ということ。詩性に対するこだわりがあったのだ。

作二郎は川柳におけるモダニズムを体現していた。それは堺という風土とも関連している。堺は与謝野晶子の故郷として知られているが、現代詩では「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」を書いた詩人・安西冬衛の存在が有名である。大連から引き上げてきた冬衛に作二郎は少年期に出会い、冬衛の詩集をもらったそうだ。
やがて彼は河野春三と出会う。春三は大阪市の生まれだが、堺市で育った。作二郎は昭和22年、川柳誌「私」に参加する。
作二郎の作品のなかでは次の句が最も有名かもしれない。難解句として有名なのだ。

鶴を折るひとりひとりを処刑する

昭和47年、平安川柳社創立十五周年記念大会で優秀賞を獲得した作品。選者は「平安」の中で伝統派と革新派をつなぐ役割を果たしていた堀豊次だと言われている。
作二郎作品の完成されたかたちを示している句集が『尾張一宮在』(昭和56年5月)である。

ばざあるの らくがきの汽車北を指す
蝶沈む 葱畠には私小説
放浪のおとうとたちの 鼻乾く
かくれんぼ 誰も探しに来てくれぬ
四月馬鹿 シルクロードを妊りぬ

形式の冒険を経て、この時期の彼は定型における作品の完成をめざしているように思える。次々と新しいスタイルを求めてきた作二郎だが、完成期に入ったのである。定型と自由律の区別はもはやなく、自在な川柳を書いていくことになる。
その後、作二郎は昭和62年、「点鐘」を創刊する。
『遊行』『伎楽面』『龍灯鬼』『伐折羅』などの句集を立て続けに刊行した時期もあった。
いちばん新しい句集が『典座』である。
私は前掲の作二郎論「墨作二郎の軌跡」の最後に次のように書いた。

〈 川柳内部の表現領域の拡大と短詩型文学全体の中で川柳を問う姿勢。川柳の内部と外部に眼を配り、常に「これからの川柳」のために作句活動を続けることが作二郎の作家精神である。自己模倣を乗り越えて書き続けるためには、川柳は日々更新されていかなければならない 〉

3月30日には「墨作二郎を偲ぶ会」(現代川柳 点鐘の会 主催)が堺市総合福祉会館で開催される。
「墨作二郎を偲ぶ」(森中恵美子)「墨作二郎の軌跡」(小池正博)「遺句集『韋駄天』について」(本多洋子)などのお話のほか句会も開催される。
兼題「遊」(筒井祥文選)
兼題「行」(桑原伸吉選)
兼題「点」(笠嶋恵美子選)
兼題「鐘」(徳永政二選)

40代以下の川柳人には作二郎と直接交流のない方も多いかもしれないが、墨作二郎の業績を知ったうえで、次の時代に進んでいってほしいと思っている。

2017年1月27日金曜日

新感覚非日常派―田島健一句集『ただならぬぽ』

先日1月22日に参加した「文学フリマ京都」の感想から述べておこう。
京都ではじめての開催だったが、詩歌部門の参加がやや少なかった印象を受けた。短歌結社では「塔短歌会」がブースを出しており、「同志社短歌」「京大短歌」「神大短歌」「阪大短歌」「立命短歌」などの学生短歌のほか、同人誌では「率」「一角」が出店していた。俳句では「庫内灯」、川柳では「川柳サイドSpiralWave」が出店。全体的に結社より個人出店が多かったようである。京都は第一回目なので様子を見て出店を見合わせている向きもあったのだろうか。
川柳からは「川柳サイドSpiralWave」が唯一の出店と思っていたが、阪本きりりが個人出店していた。当日、京都で「凜」の句会があったので、句会前の午前中に来店する方もあった。合同句集『川柳サイドSpiralWave』に「現代川柳百人一句」を付けたのは、川柳の全体像を俯瞰してほしかったからで、飯島章友が「川柳スープレックス」で取り上げてくれた。本書は葉ね文庫にも置いてもらっているし、5月の「文フリ東京」でも販売する予定である。

当日購入した雑誌のなかでは「率 幕間」の次の短歌が印象に残った。

後ろ手に兎の脚をつかんでる気配のままで立っているのね    平岡直子

後ろ手に何かつかんで立っている人がいる。それが何かは分からないのだが、兎をつかんでいる気配だけが分かる。脚をつかんでいるのだから、死んだ兎を逆さにぶらさげているのだろう。その人の姿勢や構えと同時に、その気配を察する「私」の感覚が詠まれている。隠しているものが例えばナイフなら意味性が強くなる。「背中に隠したナイフの意味を問わないことが友情だろうか」(中島みゆき「友情」)というのは、すでに陳腐な表現である。兎だからいいのだ。

文フリの話題はこれくらいにして、今月送っていただいた句集のなかから、田島健一句集『ただならぬぽ』(ふらんす堂)を取り上げたい。
田島の俳句は「豆の木」「オルガン」でときどき読んでいるが、「オルガン」の同人作品の中では田島の句に印象句のチェックを入れることが多かった。物を見る眼と詩的飛躍感が川柳人にも相通じるところがあると思ったのだ。だが、句集一冊を読んで少し印象が変わったのは、句集の背後に一種の世界観のようなものが読み取れたからかもしれない。
いま「句集の時代」が来ている。一句一句の作品ではなくて、句集一冊でひとつの世界を提示する傾向が強くなってきているのだ。
田島の句集には写生の俳句が書かれているわけではなくて、ここにはさまざまなレベルの作品が収録されている。

蛇衣を脱ぐ心臓は持ってゆく
風船のうちがわに江戸どしゃぶりの
不純異性交遊白魚おどり食い
胃に森があり花守が泣いている
蟻が蟻越え銀行が痩せてゆく

「蛇衣を脱ぐ」という季語に対して心臓は抜け殻ではなく本体にあるという機知。風船の内側というありえない空間に土砂降りの江戸がある。「不純異性交遊」と「白魚」の取り合わせの距離感。「森」から「花守」につなげる音の連鎖。「蟻」と「銀行」とのメタファーっぽい組合せ。これらのウイットに富んだ表現は川柳フィールドでも別に違和感なく受け取れる。

類型の蜘蛛が忌日の窓に垂れ
架空より来て偶然の海へ蝶

「類型」とか「架空」「偶然」などの抽象語を使うんだなと思った。「蝶」って愛用語なのかな。何句かあった。

月と鉄棒むかしからあるひかり
鶴が見たいぞ泥になるまで人間は

「ひかり」という語もよく出てくる。芭蕉の「物の見えたるひかり」を連想する。関係ないのかも知れないが。作者の世界観が出てきている。

接吻のまま導かれ蝌蚪の国
見えているものみな鏡なる鯨

接吻しているのは現実の話だが、そのまま別の世界に変容する。見えているものがすべてではなく、それは鏡にうつった鯨なのだという。こういう人が写生句を書くはずがなく、世界が二重に見えているのだろう。一種のイデア論なのかなと思った。現実の鯨を表現しながら鏡の中の鯨をつかまえようとする。つかまえきれないときはまた次の句を書く。そんな精神と言葉のダイナミズムと変容をこの句集から感じた。
句集の序に石寒太は「無意味之真実感合探求/新感覚非日常派真骨頂」と書いている。

2017年1月20日金曜日

文フリ京都をひかえて

来たる1月22日に「文学フリマ京都」が開催される。すでに東京では23回、大阪では4回開催されている文フリだが、京都では初めての開催になる。
川柳人にとって「文フリ」そのものがあまり認知されていない。したがって、川柳から出店するグループもほとんどない。私は今回、「川柳サイド Spiral Wave」の名で出店するが、文フリのカタログには「川柳カード」の名で掲載されている。申し込み時にはその名前だったが、新しく冊子を作ったので、会場のブースでは「川柳サイド Spiral Wave」で表示することになる。川柳にご関心のある方々は目にとめていただければ幸いである。文フリは小説、評論、ノンフィクション、詩歌などのジャンル別に出店される。詩歌の短歌・俳句・川柳のうち、当店は「川柳サイド」からの発信というつもりである。
冊子「川柳サイド Spiral Wave」には、飯島章友・川合大祐・小池正博・榊陽子・兵頭全郎・柳本々々の六人が参加している。それぞれ30句ずつ収録、1ページに3句、ひとり10ページというかたち。一人一句ずつ紹介しておく。

殴ると光るんです蹴ると燃えるんです   柳本々々「そういえば愛している」
税金で明るい暮らしトルメキア      川合大祐「インブリード」
さあ我の虫酸を君に与えよう       榊陽子「ユイイツムニ」
括弧つき無呼吸だから取る括弧      飯島章友「徘徊ソクラテス」
吊るされて一尾一肝ゆるす海       兵頭全郎「天使降る」
肉食であれ草食であれぷよぷよ      小池正博「人体は樹に、樹は人体に」

川合は3句セットの連作で、掲出句は「風の谷のナウシカ」による。先日、テレビで放送されていたのを私も改めて見た。兵頭も3句セットで趣向を凝らしている。会場で手にとってご覧いただきたい。95ページ、定価500円。
この六人の作品のほかに、「現代川柳百人一句」(小池正博・選出)を付けている。一昨年の「川柳フリマ」で紹介したものの改訂版で、葵徳三から渡辺蓮夫まで作者アイウエオ順の配列。現代川柳にどんな作品があるのか全体を見渡すことが困難だという声をよく聞くので、発信の第一歩として選出した。今後、「新興川柳百句」とか「自由律川柳百句」とか、さまざまなテーマで選出してゆきたいと思っている。

川柳にとって文フリはどのような意味をもつだろうか。
瀬戸夏子は角川「短歌」1月号の時評で文フリについて書いていたが、歌人にとって文フリは作品発信の場として一定の役割を果たしているようだ。それに比べて、川柳人にとってこのイベントはほとんど関心をもたれていない。句集・雑誌を売る場としては、川柳の大会や句会に本を持っていった方が効率的だと考えられている。そこに集まるのはすべて川柳人であるからだ。けれども、それでは川柳作品を発信する範囲が極めて限定的なものになってしまう。特に若い世代に対して川柳作品はまったく届いていない。既成の川柳人という限定された読者ではなく、川柳に関心があっても作品に触れる機会がこれまでなかった未知の読者に私たちの作品を読んでほしいと思っている。
今年は「文フリ京都」のほか5月の「文フリ東京」、9月の「文フリ大阪」の三か所に参加する。文フリが川柳発信の場としてどれだけ機能するか分からないが、今後出店する川柳グループが増え、蛸壺型の閉鎖的な川柳界が外部の風に触れる機会となれば幸いである。

昨年末には、私の川柳の師である墨作二郎が亡くなり、現代川柳のひとつの時代が終わった感がある。3月30日には堺市で「墨作二郎を偲ぶ会」が予定されている。作二郎についてはいつか改めて触れることにしたい。

あと、川柳誌「触光」で募集している「第7回高田寄生木賞」の締切が1月31日に迫っている。今回の募集は「川柳に関する論文・エッセイ」である。文芸において実作と評論は車の両輪であるはずなのに、川柳では評論に見るべきものが少ない。この賞は川柳では珍しい評論賞となるので、みなさん応募していただきたい。川柳の活性化につながることと思う。

2017年1月13日金曜日

ちぐはぐに時は流れて‐俳誌・川柳誌逍遥

今年は年賀状も書けないまま、松の内が終わろうとしている。年末年始、俳句・川柳の句集や雑誌を送っていただいたので、いくつか紹介しておきたい。

高橋龍句控『名都借』(発行・高橋人形舎)。名都借は「なづかり」と読むそうだ。著者の生地、千葉県流山市の字名である。

ちぐはぐに時は流れてうめの花    高橋龍
韃靼へ手妻の蝶も渡り行く
源氏名は夕顔雀蛾(来てね)
鶺鴒に超絶技巧をそはりぬ
鳶去るをAmbarvald忌といへり

三句目の「蛾」には「ひとりむし」、四句目の「超絶技巧」には「ハイテクニック」のルビがふられている。「あとがき」に曰く。
「当初、俳句も詩であると思い、その後、俳句は詩であると思ってきたが、最近は、詩であるにしても随分とひねくれた詩であると思うようになった」
「俳諧については、まだわからないが、子規以降のいわゆる現代俳句が俳諧とともに諧謔までも捨ててしまったのは惜しいことだと思うようになった。そして徐々にわたしを諧謔に近付けてくれたのは西脇順三郎先生である」
ここでいう「俳諧」とは言うまでもなく「連句」のことである。

年末に関西の若手俳人の受け皿として「奎」が創刊された。「奎」(けい)は天球二十八宿の一つで、文芸開始の吉兆とされる。代表・小池康生、編集長・仮屋賢一、副編集長・野住朋可。12月に発行された「奎」0号は創刊準備号ということになるだろうか。小池康生が「創刊の言葉」を書いている。
「関西の若手とともに、俳句雑誌『奎』を立ち上げることになりました。
 以前から関西に若手の受け皿がないとの声を聞き、それは漠然としたつぶやきなのか、わたしに向けた声なのか判断に迷いつつ、身近な若者の声とあらば、気になるところでもありました」
「俳句は運動です。互いに刺激しあいコミュニティとしてのうねりが個々の意欲や作品を高める未来を想像し、外への発信を含めての運動をはじめることにしました。小さくスタートを切り、さらなる仲間との出会いを待ちつつゼロ号を発行します」

障子貼る鳥の声のみ通すやう    小池康生
白状せよ懸崖菊を見てゐたと    仮屋賢一
おはやうの代はりに餅の数を問ふ  野住朋可

野住による葉ね文庫の探訪記が掲載されている。第一号が楽しみだ。

「里」1月号、特集は瀬戸正洋句集『へらへらと生まれ胃薬風邪薬』、北大路翼の書評のほか10人が一句鑑賞。
あと、「この人を読みたい」という企画では、天宮風牙が西川火尖を取り上げている。

向日葵に人間のこと全部話す     西川火尖
薄羽蜉蝣エウロパへ行きたさう
山茶花の蕊を言葉の名残とす

最後に川柳も取り上げておきたい。
「川柳杜人」252号から。

枕並べて寝ている人は誰だろう   佐藤みさ子

隣で寝ているのは家族か恋人に決まっているはずだが、その人がふと理解できない人間に変貌することがある。
必要があって夏目漱石の『こころ』を読み直しているが、主人公の「私」とKは親友で理解していたはずなのに、「私」には不意に彼のことが分からなくなる瞬間が訪れる。漱石はこんなふうに書いている。
「私には第一に彼が解しがたい男のようにみえました。どうしてあんなことを突然私に打ち明けたのか、またどうして打ち明けなければいられないほどに、彼の恋が募ってきたのか、そうして平生の彼はどこに吹き飛ばされてしまったのか。すべて私には解しにくい問題でした」
変貌はKの恋を契機として起こったのだが、二人は襖を隔てて隣室にいる。その襖はいつまでたっても開くことがないのである。
隣室ではなくて、同じ部屋で寝ている人が誰だか解らないというのは、いっそうコワイ状況だろう。よく知っている人のはずなのに、誰だか思い出せないとしたら、恐怖は一層つのってゆく。
「川柳杜人」は今年創刊70周年を迎える。11月4日に仙台で記念句会が開催されるようだ。

2017年1月6日金曜日

八上桐子の世界 ―「凜」68号

京都から出ている川柳誌「凜」68号の巻頭言に、発行人・桑原伸吉が「川柳平安」について書いている。

「かつて京都に存在した『川柳平安』誌の二十年は、川柳界に確かな足跡を残してきたが、そういえば良くも悪くも〈平安調〉なる言葉はそこから生まれた。足腰の定かでなかった私などは難解作品に四苦八苦、作家のもつ川柳観に振り回されていたのも思えば懐かしい」

戦前の京都には京都川柳社があって「京」という川柳誌を発行していたらしい。40年続いた京都川柳社を発展的解消して、1957年京都川柳界の大同団結をはかったのが「平安川柳社」。機関誌「平安」は20年続いたあと、1977年に突然解散する。その後、「京かがみ」(福永清造・伊藤入仙など)、「都大路」(田中秀果・西沢青二など)、「新京都」(北川絢一郎など)の三誌が誕生した。北川絢一郎の逝去にともない、「新京都」は終刊、「川柳黎明」と「凜」ができた。「黎明」は昨年解散。一方、「都大路」にいた筒井祥文は「川柳倶楽部%」を立ち上げ、現在の「ふらすこてん」へと続いてゆく。「都大路」は終刊したあと、後継誌として「草原」が発行されている。
以上、変転する京都川柳界の歴史をたどったが、そのなかで大きな存在だったのが北川絢一郎である。いま手元に北川絢一郎句集『泰山木』(1995年)があるので、何句か抜き出してみよう。

百冊の本をまたいでなお飢えに   北川絢一郎
庶民かな同心円をぬけられぬ
どの糸からもマリオネットは血を貰う
草いきれ一揆の性をもっている
川の向こうの影がときどき討ちにくる
灯を消せばきっと溺れるさかなたち

さて、「凜」68号に話を戻すと、今号には招待作品として兵頭全郎と八上桐子の川柳作品がそれぞれ16句ずつ掲載されている。ここでは八上桐子の方を取り上げることにする。
八上桐子といえば、昨年、葉ね文庫の壁に飾られた「有馬湯女」が評判になった。ハリガネ画の升田学とのコラボであるが、八上の句はこんなふうに書かれていた。

ね、雨もお湯の匂いがするでしょう
するでしょうあふれる水も息継ぎを
息継ぎを惜しんで呼べば鳥の頸
鳥の頸ちいさい橋を渡るとき
渡るとき縦に伸縮する時間 (後略)

今回の「凜」の作品は「その岬の、春の」というタイトルだが、「水」の世界を基調とし、キイ・イメージにも「有馬湯女」と共通するところが多い。

青がまた深まる画素の粗い海
ぬれてかわいてぬれてかわいて岬まで
舟底のカーブなつかしい口もと

海でありながら、デジタルの海が重ねあわされている。
画素が粗いと美しい像にならないはずだが、そのぶん見る者の想像力を刺激して色が深まるのかもしれない。
風景というものが人間の身体と重ねあわされていて、たとえば舟の曲線と誰かの口元の曲線が連想で結びついている。

てのひらにあまりにあっけなく消えて
一体を棄てるかすかな水の音
うっとりとひとりの泡を聴いている

八上は風景にうっすらと人情を重ねあわせながら、抒情的な世界を構築している。
ここには書かずに省略されているものがある。氷山の水面に出ている部分はわずかであって、水面下には見えない実体が潜んでいる。それは、あるいは喪失感であったり孤独であったり人間の実存であったりするのだろうが、八上はそれを直接表現しようとはしない。人間のドロドロした思いをつかみだして明るみに見せるやり方ではないのだ。
かつて私は人間がひとりも出てこない川柳を夢想したことがあった。あまりにも人間臭の濃い従来の川柳作品に辟易したからだ。
人間の匂いを消しながら、しかし川柳が人間を詠むとすれば、八上のような書き方はひとつの方向性かもしれない。

くるうほど凪いで一枚のガラス

「くるうほど凪いで」というのは矛盾する表現である。静かな風景の底には凶暴なものが隠されている。二律背反的なのだ。
ノイズは美しい水の世界から少しだけ姿をのぞかせている。
ノイズそのものをもっと直接的に書く川柳というものはありうるだろうし、読者によってはもっと力闘的な人間関係や現実を読みたいと思う向きもあるだろうが、そういう激化・劇化から少し距離を置いたところで作品が書かれている。「一体を棄てるかすかな水の音」というのは何を棄てたのだろう。これらの作品は微妙なバランスのうえに成り立っている。八上桐子の現在位置だろう。