2016年11月18日金曜日

斉藤斎藤歌集『人の道 死ぬと町』

前々回、小津夜景の『フラワーズ・カンフー』について書いたが、小津が自らのブログで高山れおなの『俳諧曾我』を読んだのがきっかけで攝津幸彦賞に応募した、というようなことを書いているのを読み、腑に落ちるところがあった。『俳諧曾我』のうち「フィレンツェにて」では詞書+俳句というかたちで作品が書かれている。また、「三百句拾遺」では『詩経』が使われている。
「屹立せよ一行の詩」というような考え方からすると、作品の前後には何も付けてほしくない、ということになるだろうが、文芸が無から生まれるのではなくて、先行する作品との関係性のなかから生まれるのだとすれば、前書き+句歌というパターンはとても刺激的な光景を生み出すことになる。

斉藤斎藤の歌集『人の道 死ぬと町』(短歌研究社)には単独歌、連作、詞書+短歌、などのさまざまなパターンの作品が収録されていて、読者を飽きさせない。2004年から2015年までの作品が集められていて、まだ完全には読み込めていないが、連作の、特に散文+短歌の部分に注目してみたい。
池田小学校事件の「今だから、宅間守」、大阪での展覧会を見ての「人体の不思議展」なども興味深いが、福島を詠んだ「NORMAL RADIATION BACKGROUND 3 福島」から次のような詞書(前書き)を引用してみる。

「本日司会を仰せつかりました磐梯熱海温泉おかみの会の片桐栄子と申します。福島に降り注いだセシウムは、134と137がほぼ同量と言われています。この曲線をちょっと下げる、もうちょっと下げる、これが除染の実際でございます。福島で生きる。福島を生きる。ならぬことはならぬものです。二年は除染しないでください。でないと川に流れ込んで全部こっち来る。証明できるかどうか議論していて、尿中のセシウムが6ベクレルに上がっていくのを防ぐことができますか。女の子の満足度をとにかく追及したくて東北最高レベルの時給をご用意しました。今なら被災者待遇あり、託児手当支給。逆に元気をもろたわと鶴瓶が家族に乾杯します。人が生み出したものを人が除染できないわけがない。岐阜と神奈川では年間0.4ミリシーベルトも違う、そのくらいの相場感でわたしたちは大好きなふくしまで今このときも生きています。わたしたちはゴジラではありません。和合亮一です。おかしなことを言っていますが本気です。福島はこれからも福島であり続けます。伝えたいことはそれだけです」

一読して分かるように、これは単独の発言や文章の引用ではない。さまざまな発言・メッセージなどを綴りあわせてリミックスしたものである。

短歌誌「井泉」72号のリレー評論「現代に向き合う歌とは?」に荻原裕幸が「現代/短歌をめぐる断章」という文章を書いている。荻原は1970年代まで人々はその時代の「現在」を少なくとも知識として共有していたのに対して、1980年代ごろからそのような共有感がなくなり、その人その人の「現在」がパラレルワールドのように存在している、と述べたあと次のように書いている。
「同じことは、短歌の流れにも生じつつあるように感じる。ニューウェーブ以後、ほぼ四半世紀の間、新しい人があらわれ、新しい作品が注目されても、それらが一連の動きとして、現代の短歌の焦点として認識されることが、きわめて少なくなった。数十年もすれば、短歌史が、歴史ではなく、列記化しそうだ」
そして、荻原は斉藤斎藤の歌集から次の二首を挙げている。

こういうひとも長渕剛を聴くのかと勉強になるすごい音漏れ
大丈夫あなたあの買ったマンションに津波の心配はありません

「注目したいのは『長渕剛を聴く』ことと『津波の心配』とが、ほぼ同じ位相の情報として扱われているこの語り口である。『現代』の題材に向き合って短歌を書いていれば、直面せざるを得ない価値の平準化だ」

「井泉」の「リレー評論」では、もう一人、彦坂美喜子が「当事者でない者の表現」を書いている。彦坂は震災や戦争などの大きな事件に対して「当事者でない者が、対岸の火事ではないどのような表現が可能か」と問題提起したあと、その可能性として北川透の詩「射影図、あるいは、遙かな二つの地震」を挙げている。そして短歌でこれができるかどうか考えるときに、そのひとつとして斉藤斎藤の歌を挙げている。

みんな原発やめる気ないすよねと言えばみんな頷く短歌の集まり

「『みんな頷く』顔の見えない、その曖昧性こそ、漠然とした原発への肯定と否定が入り混じっている現在の人々の感情に他ならない。ここには問いと答えの情況の記述があるだけだが、現代の、みんなが、抱えている曖昧性にまで言葉が届いていると思う」

荻原と彦坂がそれぞれの視点から斉藤斎藤の歌を取り上げているのは、それだけこの歌集に「現代」が反映しているからに違いない。
さらに川柳に引きつけるならば、柳本々々は「〈感想〉としての文学―兵頭全郎と斉藤斎藤―」(ブログ「俳句新空間」2016年11月11日)で兵頭全郎の川柳と斉藤斎藤にある共通点を見出している。

おはようございます ※個人の感想です  兵頭全郎

「この全郎さんの句が教えてくれるのはこういうことです。〈感想〉とはよく知られているような読書〈感想〉文のような意味の付与なんかではない。そうではなくて、実は〈感想〉というのはそれそのものを「個人の感想」としてしまうことで、〈偏った見方〉であることを引き受け、そしてその〈あからさまな偏差〉によって再定義しようとするものだ、ということなのです」。

この「※個人の感想です」がまったくおなじかたちであらわれているものとして、柳本は斉藤斎藤の歌集のうち「わたしが減ってゆく街で ~NORMAL RADIATION BACKGROUND 4 東京タワー」を引用している。

一九九〇年、バブル崩壊。わたしは高校を卒業する。
一九九三年、就職氷河期突入。
一九九六年、就職活動もロクにしなかったわたしは、大学を卒業してフリーターになった。
高校生の私は、就職はできて当たり前。就活は、10人中8人が座れる椅子取りゲームと思っていた。
しかし大学生活を送るうち、みるみる椅子は減らされてゆき、卒業する頃には10人に三つの椅子しか残されていなかった。*13
  
*13 ※個人の感想です

「一九九三年からの就職氷河期という社会・歴史のなかに投げ込まれているか『私』ですが、そのなかに『10人に三つの椅子しか残されていなかった』という『個人の感想』が出てくることによって、大きな社会の歴史と小さなわたしの歴史が競りあい、そのどちらもが相対化されるようになっています」

斉藤斎藤の『人の道 死ぬと町』は興味深い歌集である。引用したくなるような短歌と散文がちりばめられている。それぞれの読者の問題意識によって作品がさまざまな表情を見せる。現代を代表する歌集に違いない。

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