2016年9月10日土曜日

大会の終焉―玉野市民川柳大会

今夏7月3日に「第67回玉野市民川柳大会」が開催され、京都・大阪からも多数の川柳人が参加した。今年の選者には「川柳カード」同人が多かったことはこのブログでも触れたことがある。
大会報が8月初旬に届いたが、開いてみて衝撃が走った。「お知らせ」が挟んであり、玉野市民川柳大会は今回をもって終了するというのだ。
「玉野市民川柳大会は多くの川柳作家に可愛いがられ、親しまれ、また期待されてきましたが、この67回大会をもって終わらせて頂きます。参加された方々をはじめ、多くの仲間たちには誠に申し訳ないことですが、当玉野の会員の高齢化、減少は如何ともしがたく、ここ数年来の最大の問題点でありましたが、改善するに至りませんでした。また市の文化施設の老朽化、移転、会場問題など、第67回大会の反省から、『終了は止むを得ない』と結論が出されました」
何事も永遠に続くものではないから、いつかは終わるときがやって来る。句会も同人誌も同じである。しかし、川柳の場合、終焉は突然やって来る。
玉野市民川柳大会はそこに行けば現代川柳の動向がわかり、いま活躍している川柳人が大勢集まり、自分の句を試すことができて、川柳の現在位置を確かめることができる、そのような大会だった。そして、そのような大会は私の経験する範囲ではちょっと他に見当たらないのである。
個人的な書き方になるが、私がはじめて玉野市民川柳大会に参加したのは、平成15年の第54回大会であった。兼題「へだたり」の選をして特選に選んだのが片野智恵子の「遠景にぷかりぷかりと泣き虫ピアノ」だった。共選の草地豊子が選んだ特選は石田柊馬の「あちらでしょビュッフェの黒とかうじうじとか」。このとき私は柊馬の「西麻布の麻は元気にしてますか」も選んでいない。この時点で私には柊馬の句のおもしろさが分かっていなかったのであり、未熟な選をしたことがあとあとまでトラウマとなった。
このころ玉野では前夜に懇親会があり、瀬戸内国際マリンホテルに泊まって、夜遅くまで海辺のスナックで飲んだ。玉野の夜の海を眺めていたことを覚えている。
その後、玉野には毎年行っているが、発表誌からいくつかの句を並べてみたい。

杉並区の杉へ天使降りなさい        石田柊馬(第54回・2003年)
妖精は酢豚に似ている絶対似ている     石田柊馬(第55回・2004年)
君は何族と聞いてくるマリア・カラス    畑美樹(第55回・2004年)
にんげんに羽約束の摩天楼         清水かおり(第56回・2005年)
遠回りしては西脇症候群          飯田良祐(第57回・2006年)
出産の馬苦しんでいる朧          石部明(第58回・2007年)
爆弾処理にカフカさん産婆さん       高田銀次(第59回・2008年)
背鰭立ち上げて境界線にする        富山やよい(第60回・2009年)
乙女らは海のラ音を聞いている       内田万貴(第61回・2010年)
悪事完遂すて猫をひょいと抱く       筒井祥文(第62回・2011年)
想い馳せると右頬にインカ文字       内田万貴(第63回・2012年)
ブレイクショットから木星が動かない    兵頭全郎(第64回・2013年)
天井の人で溢れる誕生日          榊陽子(第65回・2014年)
挽歌だろう頬に畳の跡がある        酒井かがり(第66回・2015年)
だらだらのばす七月の座高         中西軒わ(第67回・2016年)

玉野市民川柳大会の歴史を書き留めておこうと思ったものの、その時々の出来事がいろいろ思い出されて客観的に書くことが難しい。振り返ってみると、私はこの大会に育てられたのだということを改めて意識する。
前田一石は第40回からこの大会を受け継いでいる。男女共選というのが特徴で、毎回どのような組み合わせになるか、一石はあれこれ頭を悩ませたことだろうが、それが彼の楽しみでもあった。一石をはじめスタッフの方々のこれまでの持続的な努力に敬意を表したい。
蛇足だが、「共選」の在り方もこれから再検討するべき時期に来ているかもしれない。男女という区分は今の時代にそぐわないとも考えられ、今後どのような共選がいいのか、どのような大会が求められているのかが「玉野以後」の課題となるだろう。

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