2015年7月24日金曜日

川の話 ― 連句フェスタ宗祇水

夜明け前にはカジカの声が聞こえた。
民宿のそばには小駄良川が流れている。以前、赤目四十八滝に行ったときにも同じ声を聞いたので、間違いはない。夜が明けるまでの二時間くらい、寝床のなかで夢幻のような蛙の声を聞いていた。

郡上八幡の「連句フェスタ宗祇水」は今年で29回目を迎える。前日の7月18日(土)に郡上に入った。台風通過の翌日なので行き着けるか心配で、現に大阪環状線はストップしていたので、地下鉄で新大阪へ。新幹線で名古屋までゆき、名古屋から美濃太田までは「特急ひだ」に乗車。美濃太田からは長良川鉄道である。この鉄道ははじめて利用するので楽しみにしていた(前回は高速バス)。長良川は濁っていた。清流を期待していたのだが、相手は自然なのでやむをえない。
郡上八幡駅からは豆バスで街の中心地へ。この町は水がきれいなのでおいしい蕎麦屋さんが何軒かある。吉田川沿いの店で昼食をとる。そして、お目当ての宗祇水へ。
宗祇水は日本の名水百選にも選ばれていて、連歌師の飯尾宗祇ゆかりの地である。聖地という感じがして好ましいが、特に私の好きなのは傍らを流れている小駄良川である。しかし、この日はまだ雨が降っているし、川も濁っていて楽しめなかった。
博覧館で郡上おどりを教えてもらう。おどりは十種類あるのだが、「かわさき」と「春駒」の手のふりだけは何とかできそうだ。二年前に来たときには踊りを見るだけで参加できなかったので、今回はそのリベンジのつもりで気合が入る。
夕食はお目当ての天然鮎。これも前回目をつけていたお店に入る。

午後八時から郡上おどりに出かける。日によって踊りの場所が異なっていて、今夜は旧庁舎記念館前。下柳町神農薬師祭ということで、そういえば新橋の神農薬師の提灯に灯がともされていた。はじめの30分ほど保存会の少年少女たちが歌と演奏を担当していたのも将来が頼もしい感じがした。
「かわさき」は手を頭上に挙げて見上げる振りのところでちょうどお城が視野に入るのがおもしろかった。そして「春駒」。

七両三分の春駒、春駒…

江戸時代に郡上は馬の産地であったという。手綱さばきが踊りのふりに取り入れられていて、けっこう激しい動きである。
踊りながら私の脳裏をかすめたイメージはふたつ。
ひとつは柳田国男の「清光館哀史」(『雪国の春』)。「おとうさん。今まで旅行のうちで、一番わるかった宿屋はどこ」ではじまる文章である。盆踊の歌詞を尋ねた筆者に清光館の女将は笑って教えてくれない。

「痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、色々として我々が尋ねて見たけれども、黙って笑うばかりでどうしても此歌を教えてはくれなかったのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、仮令話して聴かせても此心持は解らぬということを、知って居たのでは無いまでも感じて居たのである」

もうひとつは尾崎碧の『第七官界彷徨』に収録されている短編「初恋」。盆踊りに出かけた少年はそこで出会った少女に惹かれるのだが…

雨が少々降っているが、郡上おどりは警報が出ないかぎりは雨でも実施されるらしい。踊り疲れて民宿へ帰る途中、山の方を見るとライトアップされた郡上八幡城が雨に霞んでぼうっと光っていた。

翌19日(日)は午前9時半に宗祇水で発句の献句。そのあと大乗寺に移動して歌仙を巻く。三座に分かれ、座名は郡上おどりにちなんで「かわさき」「春駒」「三百」。私は「三百」の座である。
「連句フェスタ」で巻かれた作品が『緑湧抄Ⅱ』一冊にまとめられている(平成9年~21年作品が収録)。平成17年7月30日に巻かれた歌仙「青野の巻」の表八句を紹介する。

水溢れあふれ青野の人語かな     鈴木漠
炎ほの透く雲のゆきかひ      水野隆
梁高き旧家のあるじ頑なに      福井直子
土蔵の闇に息すものの怪      斎藤佳成
皓々の月下に銀の斧を研ぐ      古田了
サックス聴ゆ肌寒の砂嘴      川野蓼艸

発句と脇、詩人で連句人でもある鈴木漠と水野隆のやりとり。
水野隆は郡上の「おもだかや民芸館」当主であり、平成62年から「連句フェスタ宗祇水」を実施している。2009年に惜しくも亡くなられたが、現在は子息の光哉さんが受け継いで実施されている。今年は隆さんの七回忌ということだろう。

郡上で好きな場所のひとつに釈迢空の歌碑がある。
大正8年に郡上では火事があったらしい。その直後、迢空はこの町を訪れている。歌集『海やまのあひだ』にはこのときの短歌七首が収録されている。
「八月末、長良川の川上、郡上の町に入る。この十二日の昼火事で、目抜きの街々、家千二百軒が焼けてゐた」と詞書があって、冒頭の一首が歌碑に刻まれている。

焼け原の町のもなかを行く水の せゝらぎ澄みて、秋近づけり  迢空

四角い歌碑の上から水が滴るようになっていて、歌碑はいつも水にぬれていて涼しげである。
私は歌仙奉納までの時間、吉田川沿いの喫茶店にいた。吉田川は昨日に比べてだいぶん水が澄んできている。川の流れをみているといつまでも飽きない。

夕方の5時半から宗祇水の前で当日の歌仙三巻を読み上げた。
一匹の大きな蜻蛉が水の上を行ったり来たりして飛んでいた。私たちはまるで水野隆さんの魂のようだと囁きあった。

19日の夜は昨夜とは別の民宿に宿泊。
あけがたに私は再びカジカの声を聞いたのである。川からは少し離れているのに、いったいどこで鳴いているのだろう。
翌朝は朝食の前に少し散歩する。吉田川には鮎釣りの人が出ている。

昼食には有名店で鰻を食べたあと長良川鉄道に乗る。
長良川の水はすでに澄んで青く、車窓からの眺めは楽しかった。
次に来るときは関の弁慶庵を訪れてみたいものだ。
美濃太田で時間があったので、中山道太田宿を見学。ここでは木曽川を見たのだが、川の話はもういいだろう。

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