2015年6月26日金曜日

ぶんがくにサブカルチャーは敵わない―短歌誌・歌集逍遥

6月某日
短歌誌「ES光の繭」第29号を読む。
特集がふたつ。共同討議「震災後の言葉のゆくえ」は筑紫磐井(俳人)、広瀬大志(詩人)に「Es」同人の加藤・桜井・松野が加わって、「詩・俳句・短歌における表現の可能性」を探っている。ふたつめの特集「ジャンルを越えて」では同人がそれぞれ通常の短歌形式以外の形式に挑戦して実作を行っている。加藤英彦の「異類へ」は「わたしの閾域下の川柳十句」ということだが、十句のなかにはどう見ても俳句形式のものもあり、そのことが逆に私には興味深かった。書評欄では江田浩司が『安井浩司俳句評林全集』と『冬野虹作品集成』について書いている。以下、同人の短歌作品を紹介。

もやい綱ことごとく解く最初からゆるされていることに苛立ち   松野志保
同姓を恋ふとも異性を慕ふとも柿の芽の初夏に伸びゆく姿     大津仁昭
ぶんがくにサブカルチャーは敵わない 楽観に湧く首都のかたわら 桜井健司
黒煙はあつくのぼれりその腹にあやまたず被弾二十数発を抱き   加藤英彦
光る砂ちちよちちよと泣きたれば華やぐ街に初夏は来たりぬ    江田浩司
守ってほしい。なーんて甘えるそぶりしてみんなあげちゃう 命も基地も 山田消児
サンチョ・パンサひとり疲れて帰郷せしここ悲しみの封印を解け  崔龍源
よくひかる大きなたまごのうらがはで鳥となるまで眠つてゐやう  天草季紅

現実から出発する作品や批評性・諷刺の濃厚なものだけではなく、先行する文学作品を踏まえて書かれている作品もあり、短歌の書き方は多彩だ。「Es」は次号30号で終刊するという。

6月某日
冬野虹は2002年2月に急逝した。
「Es」29号の書評で江田浩司はこんなふうに書いている。
「冬野虹さんにお会いしたのは二度にすぎなかったが、夫君の四ッ谷龍さんから急死の訃報をいただいたときには、しばらく茫然としてしまった。虹さんは私の創作にも深い理解を示して下さった。私は哀しみと同時に、大切な読者を失ったという喪失感も加わって、虹さんの急逝が強く心に響いたのである」
『冬野虹作品集成』の第三巻には歌集『かしすまりあ』が収録されている。四ッ谷龍の解題によると「冬野虹は、1992年から2001年12月にかけて約1000首の短歌を制作した。歌集刊行を目指して作品の下抜きを開始しており、歌集名も『かしすまりあ』とすることを決定していたが、最終稿の完成を見ずに世を去った」ということである。

十字架のかたちの白きどくだみの花の歴史をあした師に問ふ    冬野虹
あれはなに?露とこたへてこめかみに海のにほひを薫きしめる人よ
春の空は白磁の皿に降りきておどろきやすき翅をもつかな    
すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
みんな帰ったか眠ったか たぷたぷうちよせて神経の先水にひたして
それはとても毛深い空のやうな音がする ポストに落ちる手紙
岸の人は大きな青い貧血の花なぜそこを揺すって笑はないの?
貴族たちはぬるぬるひかる黒髪をいつも乱れたままにしてゐた

6月13日
会津へ向かう途中、東京で「マグリット展」を見る。
7月11から京都市美術館にも巡回してくるのだが、待ちきれずに東京の国立新美術館へ。
「大家族」「光の帝国」「恋人たち」など代表作が一堂に集められている。発見もいろいろあり、マグリットに「ルノアールの時代」と呼ばれる暖色を主体にした一時期があったことをはじめて知った。もっともこの時期は彼の友人たちからは不評で、晩年は初期の作風に戻りつつ、それをより大きなスケールで描くようになったようだ。
空は昼なのに家の周囲は夜である絵があるが、「私は昼も好きだし、夜も好きだ」というマグリットの言葉に少し納得した。
夕方、会津若松に到着。居酒屋探訪がひとつの目的で、「ぼろ蔵」「鳥益」とはしごする。テレビで紹介されることが多い有名店には予約なしでは入れない。「鳥益」では太田和彦と吉田類の色紙が並んで飾ってあるのにはびっくりした。

6月14日(日)
第6回猪苗代兼載忌記念連句会に出席。
兼載は戦国時代の連歌師で、猪苗代の出身。心敬を師とし、宗祇とも交流があった。北野天満宮連歌所の宗匠もつとめている。
会場は小平潟天満宮の社務所で、四座22名が参加。
この天満宮は北野天満宮・大宰府天満宮と並んで日本三大天満宮のひとつだと言うが、大阪では大阪天満宮が三大天満宮だと思っている。

さみだれに松遠ざかるすさきかな    兼載

「すさき」は洲崎で、かつては天満宮のすぐ前まで猪苗代湖の波が寄せていたという。
二度目の会津の旅でこの土地をより深く理解することができたが、共同制作の魅力と困難さも感じるところがあった。

6月某日
「かばん」6月号を読む。
「かばん」のメンバーの中には川柳の書き手も何人か含まれている。

すきなひとのすきなひとのはなしをきいている そのすきなひとにもすきなひとがいる      
バスのなかわたしの好きな馬場さんが撃たれたようにうつくしく寝る   柳本々々


「それはもう非道いギャクタイでしたよ」とカウんせらーに語るジャイアン  
現実と夢とのはざま忘れるなサンドウィッチ伯爵の名を         川合大祐

高きより見おろすビルの吹抜けを夜深ければ銃身(バレル)と思う 
零時を前に消えかかる孔……聖碑の下に男はしずむ       飯島章友

特集は藤本玲未第一歌集『オーロラのお針子』。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズ13である。藤本の自薦20首と藤原龍一郎をはじめとする歌集評、藤本のエッセイ「物語への飛躍」などが付いている。

玉乗りの少女になってあの月でちゃんと口座をつくって暮らす    藤本玲未
あなたさえ良ければ冬の図書館でわたしはひとり読点になる

6月某日
今日は土岐友浩の第一歌集『Bootlegブートレッグ』を読む。侃侃房の新鋭短歌シリーズ22。装画スズキユカ。ブートレッグは「海賊版」という意味だそうだ。

あしもとを濡らしてじっと立ち尽くす翼よりくちばしをください   土岐友浩
どちらかと言えばおとうとより父と遊んでばかりいたような夏
ああ僕が思い出すのは島で見たあの星空だ、あの海よりも

「新鋭短歌シリーズ」は規模も内容もまったく異なるが、「川柳カード叢書」の遠いルーツだった。

6月某日
高柳蕗子著『短歌の酵母』(沖積社)を読む。
「短歌という詩型は個人技ではなくみんなで詠んでいるもの」という捉え方から、「みんなで育てる歌語」「題材の攻略」「短歌の身体」「歌人は酵母菌」の四章にわたって短歌を論じている。たとえば、第一章では「トマトぐっちょんベイベー」というタイトルで、「つぶれたトマト」を詠んだ短歌を論じている。「今まで短歌で発表されていない事象を初めて短歌に書くということは、けっこう難しいことである」「短歌の評は、作者という個人の手柄を論じる話になりやすい。だが、世界のありようは、見事な個人技、独自な能力だけでは咀嚼しきれない。みんなで共有して、はずむ話のなかで攻略が進む面もある」
そこから短歌あるいは短詩型のデータベースという考えが生まれる。データベースから検索した「トマト」の歌がいろいろ引用されているが、その中には斎藤茂吉の有名な「赤茄子」の歌も登場する。

6月某日
京都の泉屋博古館で「明清書画展」を見る。
お目当ては八大山人の「安晩帖」である。「これを見ないでは京都にいる甲斐がない」と言われる名品。画冊になっていて、展示の際にはページをめくることができないから、一面しか見られない。以前、叭々鳥を描いた別のページを見たことがあり、今回でようやく二面を制覇したことになる。
画面の中央を一匹の魚が泳いでいる。
川の流れは何も描かれていないが、この川は「曲阿」という川らしい。
曲学阿世という言葉がある。世におもねって生きてゆく人は多い。
八大山人は明朝の遺民である。明が清に滅ぼされたあと、明朝の家臣たちの身の振り方はさまざまである。世を捨てて隠棲するもの、節を屈して清朝に仕えるもの。八大山人は明の皇帝の一族だったから、去就はいっそう困難をともなっただろう。清から逃れて出家したあと発狂したとも言われるが、発狂を装っただけ(佯狂)かもしれない。
一匹の魚が阿世の川を泳いでゆく。それなら阿世の川の最後までたどり尽くしてやろう、とでもいうように魚の眼は力強い。

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