2014年11月14日金曜日

小島蘭幸川柳句集『再会Ⅱ』

天王寺の大阪市立美術館で「独立展」を見た。毎年、この時期に開催されるので楽しみにしている。独立美術協会の斎藤吾朗氏は画家で連句人でもある。画廊連句で知り合ってから、毎年展覧会の案内を送ってくれる。この人の絵を見にゆくのである。
今年は「富士に寿ぐ」が出品されていて、世界遺産登録にちなんだものか、富士を中心として清水港から伊豆の下田までパノラマのような世界が展開されている。彼は三河在住で、赤を基調とした独特の画風なので「三河の赤絵」として知られている。
全体の構想もさることながら、ディテールのおもしろさが抜群で、清水の次郎長がいたり、ペリーが来航していたり、太宰治が「富士には月見草が…」と呟いていたりする。富士浅間神社の信仰も描かれているが、古今東西のさまざまな登場人物たちが画面狭しとひしめきながら一堂に会しているのだ。そこにはメッセージ性がこめられている。
会場でもらった「独立ノート」第4号には「私のターニングポイント」として絹谷幸二のインタビューが載っている。むかし「日曜美術館」でこの画家が「土佐の絵金」のことを語っていたのを覚えている。絹谷はこんなふうに語っている。
「独立展の出品者の中にも、何年も何年も同じような絵を描いている人がいますよね。そういう人は質的な時間が多岐に渡っていない、つまり自分の絵を模写しているように見えます。独立展の場合は進取の気性に満ち、挑戦している絵でないといけません。新規な時間が生み出されていないということは存在がないということです」

「川柳塔」は今年創立90周年を迎え、10月4日に「第20回川柳塔まつり・川柳雑誌・川柳塔90周年記念川柳大会」が開催された。それにあわせて、主幹の小島蘭幸川柳句集『再会Ⅱ』が発行されている。

ひとすじの煙たかぶりなどはない
晩年の味方は一人あればよい
みんなみな幻正座してひとり
座禅組む急ぐことなどないこの世
精神力だけで立ってたのか葦よ
一喝をしてから眠れなくなった

序文のかわりに橘高薫風の「川柳塔の旗手 小島蘭幸」が収録されている。「川柳木馬」38号(昭和63年)の「次代を担う昭和2桁生まれの作家群像」に掲載されたものの再録である。
薫風はこんなふうに書いている。

「川柳界の動きは、明治三十年代の川柳復興期から、時代を先取りしたのは常に若者であったが、総じて微温的であった」「明治二十年代に生まれた作家たちの中で、麻生路郎、村田周魚、椙元紋太、川上三太郎、岸本水府、前田雀郎が六大家と呼称されるように傑出した。また、大正末期から昭和一桁生まれの作家が、昭和42年5月京都国際会議場で開催された平安川柳社十周年記念大会で、当時の新進として壇上に顔を並べた印象は今も鮮やかで、壇上で質問を受けた新進の人たちが、現在充実した指導力を各地で発揮している。そして、次代の川柳界を背負うのが、小島蘭幸の世代、つまり戦後生まれの団塊ではなかろうか」

昭和末年ごろまでの川柳界の状況論として読んでも興味深い。
小島蘭幸は昭和23年、広島県竹原市に生まれる。15歳で川柳をはじめ、竹原川柳会に入会した。昭和42年、川柳塔社・同人。平成22年、川柳塔社・主幹。
前掲の文章で、薫風は続けて次のように書いている。

「しかしながらまた、竹原川柳会を中央から指導していたのは清水白柳と菊沢小松園であり、その上に当時の川柳塔の主幹、中島生々庵がいて、三人ながら穏健保守の作風であったので、新進の蘭幸にはいささか不満な場合もあったのではなかろうか。これは、私が麻生路郎について指導を受けた当初に抱いたもので、私の作る古い句ばかり入選にして、自分では意欲的に作った斬新な句は没続き、全く考え込んでしまったのだが、数年を経て、その感覚的な斬新さが本物になってきたとき、続けさまに入選にして下さった」

川柳結社が若手を育てる機能を失っていなかった時代の姿がここにはある。
「川柳木馬」に掲載されたもうひとつの蘭幸論は、石原伯峯(広島川柳会会長)の「句集『再開』とそれからの蘭幸」である。『再会』は蘭幸が結婚を機に発行した第一句集である。この文章で伯峯が注目していたのは次の四句である。

僕の視野にカラスが一羽だけとなる
むかしむかしのやさしさがある藁の灰
いのちふたつあれば悪人にもなろう
うさぎの耳もわたしの耳も怖がり

蘭幸は竹原川柳会や川柳塔とともに歩んできた。そのことは、たとえば次のような句にも感じられる。

真夜中の酒よ六大家を想う
創刊号ひらくと波の音がする
恐ろしい人がいっぱいいた昭和
生々庵栞薫風路郎の忌
ライバルも私も痩せていた昭和

「蘭幸には社会を諷刺し、他人に敵対するような句はない。それはそれでよい。どんな対象であれ、無理につくることはないのである。言いたいことだけを言うことだ。饒舌は中味が薄くなるばかりである」

橘高薫風は蘭幸の作品についてこのように書いている。
昭和の川柳界には「恐ろしい人」がいっぱいいた。他人に敵対するというような表層的なことを言うのではないが、蘭幸にもまた「恐ろしい川柳人」になってほしいと思っている。

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