2014年11月7日金曜日

江田浩司歌集『逝きし者のやうに』

江田浩司歌集『逝きし者のやうに』(北冬舎)について書いてみたい。
表現者は多かれ少なかれ先行の作品に影響を受けているものだが、この歌集は先人への追悼とオマージュそのものを主題としている。塚本邦雄・山中智恵子・近藤芳美・北村太郎・蕪村・村松友次・荒川修作…このように挙げてゆくと、江田の詩魂のありどころが浮かびあがってくる。かつて「精神のリレー」ということが言われたことがあったが、「魂のリレー」というようなものがこの歌集には感じられる。
江田は村松友次に俳諧を学び、塚本邦雄の影響を受けて短歌をはじめたという。従って彼は俳諧と短歌という両形式を知悉しているから、偏狭でありつつ総合的なのである。
先人に対する追悼歌を一首ずつ挙げてみよう。括弧内に誰に対する追悼なのかを示しておくが、章名は省略させていただく。

水上に死の立ち上がるごとくして詩魂を紡ぐ父は生きたり(塚本邦雄追悼)
夢の記に雨の躰を記すとき韻文はなほ香り立つかな(山中智恵子追悼)
揺るぎなき意志は焦土に吹く風を詩の原形の一つとなさむ(近藤芳美追悼)
水烟は立ちのぼるなりかぎろひのことばの修羅を生きる人らに(多田智満子追悼)
フーコーから話し始めし修作がジョン・ケージにて一息つきぬ(荒川修作追悼)
歎きなど莫迦らしくなる緊縛に身を任せたり一炊の夢(中川幸夫追悼)

江田は塚本邦雄を「父」と呼ぶ。精神的な父なのだろう。山中智恵子は母であろうか。
江田に俳諧を教えた村松友次は紅花の号をもつ俳人でもあった。「村松友次先生を哀悼する」の章から三首引用する。

降りしきる雪に古人の貧しさを讃へたまひし師は逝きたまふ
旅に病む芭蕉を説ける講義かな湖底に棲めるこゑはくれなゐ
紅花とふ俳号を虚子に賜りて風花のごとき俳句をなしぬ

村松紅花は連句界でも高名であった。
私が愛読したのは『芭蕉の手紙』『蕪村の手紙』『一茶の手紙』(大修館)の三部作である。
北村太郎は「荒地」の詩人であるが、詩集には「かげろう抄」という連句的な作品が収録されている。連句人として活躍した松村武雄は北村太郎の兄である。
「あをき夜に立つ」の章は手がこんでいて、蕪村の「北寿老仙をいたむ」に寄せたものである。この新体詩の先駆と言われる作品自体が北寿老仙(早見晋我)に対する追悼詩である。江田はそこにさらに自らの短歌を取り合わせる。たとえば、こんなふうに。

君あしたに去ぬ。ゆふべのこゝろ千々に
何ぞはるかなる

砕けゆく言葉は風があがなへよ君あをき夜に立つと思へば

和歌をくずした俳諧、その俳諧をさらに崩した川柳を主なフィールドとしている私にとって、この歌集は「詩」や「韻文」に傾きすぎている。だから、次のような散文的な歌にであうと少しほっとする。

人生の七合目なりこれ以上いやな奴にはなるまいと思ふ

フラットな時代にあって、あえて屹立した言語表現にむかっていることは江田の独自性といってよい。表現者が創造の根拠とするのは、そのジャンルの伝統である。それは自ら選び取るものだから、同時代に限定されるものではなく、幽明境を異にする先人の仕事であっても生きて存在しているのだ。
もし、この歌集に対して俳諧的な読みを試みるとすれば、塚本邦雄も山中智恵子も北村太郎も、詠まれているすべての表現者たちは座の連衆であり、ひとつの祝祭空間を共有していることになる。

人生の半ばを過ぎて人の死が生きゆくことの一部となりぬ     江田浩司
向日葵のはじめての花蒼く冱えわがうちに生きゐたる死者の死   塚本邦雄

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