2013年7月20日土曜日

「現代詩手帖」から大沼正明句集『異執』まで

「現代詩手帖」7月号の特集は「藤井貞和が問う」である。
巻頭に藤井自身の「声、言葉―次代へ」を据え、巌谷國士・川田順造・佐々木幹郎など20人近い論考を並べている。読みどころはいろいろあるが、昨年11月3日に神戸女子大学で開催されたシンポジウム「現代詩セミナー」が収録されているのが嬉しい。例年開催されているこのシンポジウムは何度か聞きに行ったことがあるが、昨年は参加できなかったからである。
パネラーは藤井貞和・金時鐘・たかとう匡子・細見和之、司会・倉橋健一であるが、金時鐘は次のように発言している。
「3月11日まで、日本の現代詩は外に向かって開かれていた詩だったとは思えないんです。生気を失った、内向きに逼塞した詩であったと私には見えていました。ために、これまでの現代詩の内実を明かしていくことが、いまから始まらねばならない。幸か不幸か、時代の変遷を驚愕の実相でもって露わにしたのが一昨年の東日本大震災だったと思うんです」
「この20年、日本では、短歌、俳句が跋扈しました。日本人誰しもが歌人、俳人の観を呈して久しいのですが、それにひきかえて現代詩はどうでしょう。言い換えれば、日本の言葉に関わる芸術は全部、現代詩の衰退のうえに成り立っている芸術なんです」
ここだけ引用すると誤解されそうな発言だが、インパクトがあり印象に残った。
細見和之は震災のあとCMで延々と金子みすゞの詩が流されたことについて、なぜ俳句や短歌ではなくて詩だったかと問題提起して「一番当たり障りのないものとして詩が選ばれたところもあったんじゃないか」と発言している。これも誤解を受けそうな発言だが、「大状況とふれ合わないという意味での詩、どこか自分の気持を逸らして別の何かを現実と違うものとして提示してくれるような詩、そういう生々しくないものとして詩が選ばれたところがあったのではないか」と細井は述べている。
シンポジウムのほか、和合亮一と藤井貞和の対談なども興味深いが、『東歌篇―異なる声 独吟千句』が再録されているのに注目した。藤井はこの本を2011年に出しているが、2012年には竹村正人がドキュメンタリー『反歌・急行東歌篇』を撮っている。
藤井の独吟千句は長句と短句を繰り返しているが、連歌・連句とは異なり、式目や季語を意識していない。こみ上げてくる言葉を吐き出したというものだろう。冒頭部分は「少年」と題されて、こんなふうに始まっている。

幼くて、われ走るなり。きれぎれに
返る記憶の少年の夏
特集のページ、原子の力もて
何をなせとか―ありし その記事
回し読みする「少年」誌、わが記憶
汚れていたる緑の表紙
はるかなるわれら 科学の夢を継ぐ
明日と思いき。はかなきことか
十年をわずかに越えつ。人類の
核分裂を手に入れてより
いもうとのウラン、名前に刻みつつ
あやうき虚偽となる 半世紀
あこがれの未来を、ラララ科学の子
戦後に誇る 産業ののち

鉄腕アトムの妹はウランちゃんだった。アニメの主題歌を作詞したのは谷川俊太郎。そういうところから藤井はうたいはじめている。いま、どんなに遠いところへ来てしまったことだろうか。

さて、「現代詩手帖」の俳句時評では関悦史が大沼正明句集『異執』(ふらんす堂)を取り上げている。句集の著者略歴によると、大沼正明(おおぬま・まさあき)は昭和21年、旧満州生まれ、仙台で育つ。『大沼正明句集』(海程新社、昭和61年)。現在「DA俳句」所属。「後記」を読むと『異執』という句集名は「正論から外れた見解を立ててこれに執着すること」で仏教語であるらしい。
関悦史は『異執』について、「大抵の句集が二次元もしくは三次元の枠内で表現に努めているとすれば、この句集は四次元といえようか」と述べている。「新しい表現自体のために新しい表現が探られるのではなく、己の生を句に成そうとすると、その表現が異形のものへと変貌していくのである」
『異執』については外山一機も「ブログ俳句空間・戦後俳句を読む」(5月31日)で取り上げている。

http://sengohaiku.blogspot.jp/2013/05/jihyo0531.html

関や外山に付け加えることは何もないのだが、『異執』はとても刺激的な句集なので、いくつかの句を紹介してみたい。

寧よ冬鳥戒厳令まだ解かぬ街に
寧よ行こう冬鳥を連れもっと北へ
長春手前で霧ふり寧の生理知りし
異物か無か寧の故郷に寧とひそみ
異物か明か三年半前少女の寧
寧の生家はあの解放大路の暗帰りぬ

「寧」にはニン、「明」には「みょう」、「解放大路」には「ジエファンダールウ」、「暗」には「あん」とルビがふられている。
「1991年(平成)秋からの足掛け四年は、中国東北部の長春にて現地の人々と寝食を共にした。旧満州生まれのおそらく最年少引揚者であろう己が原点を探る旅であり、句作りの継続には不可避との思いがあっただろう」と後記にある。
「杜人」238号に広瀬ちえみが「含羞と傲岸について」と題して『異執』の鑑賞を書いている。大沼は「『杜人』のみんなで来れば(長春を)案内するよ」とよく言っていたというが、実現しなかったらしい。
掲出句は1991年より以前の、1989年冬に北京から長春を旅したときの句のようだ。寧(ニン)という少女を詠んでいて抒情的だ。

われは反メディア派でいるンゴロンゴロ
貧貪と鳴らし半馬鹿派で行こう
僕もいつか紙おむつバックストローク派かな

「貧貪」には「ヒンドン」、「半馬鹿派」には「パンパカパ」のルビが。
「~派」という句が何句か見られる。むかし「漫画トリオ」なんてあったな。

阿Qいれば吽Qいるはず冬ざれ行く
ソウ太とウツ介この双頭の夏を行く
ぎざぎざ背鰭のオーヌマサウルス六十路らし

諧謔とか俳諧性を感じる句も多い。諧謔は自画像にも向かう。
次に挙げるのは批評性のある句。

しぐれとお金は大人の生き物こりこりす
自爆テロ地球にトンボ浮いてるのに
羽化まえのエノラゲイなら指でつまむ
民族浄化して粥に梅さがす広さかな
テキ屋きて社会の窓からいわし雲
ザリガニ尺もて祖国嫌度は脛から測る
天皇制のむこうの豚舎もまずは健康

渡辺隆夫が喜びそうな作品ではないか。

口腔(こう)派口腔(くう)派どっちも原発に口あいていた

この句について広瀬ちえみは次のように書いている。
「どう読もうと、そもそも原発ははじめから口腔を見せてあの日を待ちかまえていたのだという痛烈な批判は、新聞の見出しのような震災句の中で光を放っている」
最後に、句集のなかで最も抒情的だと思った句を挙げておこう。

白旗少女の白きは夏花なり摘むな

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