2013年5月17日金曜日

かばん30周年記念イベント

今週は短歌のことを書いてみる。
まず、5月12日(日)の「NHK短歌」に斉藤斎藤と正岡豊が出演したのに注目。
斉藤は正岡のことを「本気な人がここにいる」と紹介し、『四月の魚』の次の歌を挙げた。

きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある 正岡豊

正岡は短歌とはどういうものかという問いに対して、「短歌とはくらべ合うものだ」という岡井隆の言葉をもって答えた。
短歌は書かれる前から、すでに過去の作品や他者の作品とくらべられている。
くらべられるのは嫌だと逃げてしまう方が楽であって、くらべられるのはエネルギーがいることかもしれない。しかし、そうではなくて、くらべ合うことを肯定すること。「君はそうなんだ、僕はこうなんだよ」ということを肯定する。それは、本当はくらべられないものをくらべることでもある。そういう葛藤と定型の中に言葉を入れる葛藤とが短歌なのだ。…斉藤斎藤と正岡豊との「ちょっといい話」だった。

朝6時からEテレを見たあと、「かばん30周年記念イベント」に出席するため、東京へ向かう。会場は渋谷だが、開始まですこし時間があるので、四谷の「晩紅舎」で「八田木枯追悼展」を見る。
「晩紅舎」は俳人・八田木枯の娘、八田夕刈が開いているギャラリーで、「誰ソ彼レの空が染まるころふらりと立ち寄る舎」という意味だという。木枯は自宅でも「晩紅塾」という句会を開いていた。色紙・短冊のほか旅行の際の写真、山口誓子からの手紙・葉書などが展示されていた。今年3月に山科の一燈園で八田木枯の句碑建立式があり、そのビデオも流されていた。句集『鏡騒』をまだ持っていなかったので購入。

戦争が来ぬうち雛を仕舞ひませう   八田木枯

あと「鏡」8号(2013年4月)から、これから訪れる「かばん30周年」のパネラーでもあるお二人の作品を引用しておく。

人々が鱗をまとふ十二月       東直子
冬の竹輪に春の胡瓜を入れて切る   佐藤文香

渋谷に到着するが、おそろしい人混みである。会場のシダックス・ホールの建物は見えているのに、なかなか行き着けない。
私が「かばん」を購読していたのは2004年ごろで、ほぼ10年が経過している。「かばん関西」の歌会にも何度か参加したことがあるが、見知っている人はもうほとんどいない。「かばん」について、当日配布されたプログラムから改めて紹介しておこう。

「前田透門下の若手で結成され、当初はもと『詩歌』の会員が集まった『かばん』だが、いつのまにか『詩歌』に関わりのない人が大半となった」

前田透は前田夕暮の長男である。1984年1月、前田透は交通事故で死去。「詩歌」は解散し、井辻朱美・林あまり・中山明たちによって「かばん」が創刊された。来賓のスピーチに立った奥村晃作(コスモス)は「かばん」というコインの裏側にある前史について語り、中山明は30年も続いたのは「『かばん』という誌名にキャパシティがあった」と述べた。1984年の創刊号を見ると表紙は「鞄」となっており、その後「かばん」「KABAN」などを経て「かばん」に定着したようである。

総合司会は飯島章友・渋沢綾乃の二人。飯島は「川柳カード」の同人で川柳も書いている。司会者二人の掛け合いによる進行もおもしろいなと思った。
まず、トークショー「短歌の相談室」では司会・睦月都、パネラー・佐藤文香・穂村弘・佐藤弓生。俳人の佐藤文香には「第2回川柳カード大会」(2013年9月28日開催)のパネラーをお願いしている。
①BGMを聞きながら作歌することがあるか。
②短歌を作るとき「自己完結」してしまうとよくないと言われるが…
③文語と口語の混在についてどう思うか。
三つの相談についてパネラーが答える。
「自己完結なのか詩的飛躍なのか、グレーゾーンがある」「世界観が自己完結すると読者は入ってゆけない」「文語であっても現代語として使われている現役文語がある」「現在は文語と口語が混在するミックス短歌の時代」など示唆に富む発言があった。

続いて「短歌たたかう」では「歌合」方式で左右に分かれて歌のよしあしを議論する。司会・雨宮真由、「シダックス」チームは笹公人(キャプテン)・山田航・伊波真人、「とりつくダマスカス島」チームは石川美南(キャプテン)・柳谷あゆみ・東直子。
「パフォーマンスだぱんぱかぱん」では伊波真人による映像作品、柴田瞳・法橋ひらく・雨宮真由による寸劇、榎田純子による「初音ミクの短歌朗読」などがあった。
帰りの時間があるので私はここまでで帰ったが、その後、陣崎草子・雪舟えま・伴風花・千葉聡・井辻朱美の出演や「かばん賞」の表彰があった。

全体を通じて盛りだくさんの内容だったが、外部の参加者にとっておもしろかったのはトークショーと歌合までで、あとはお祭として「かばん」会員の内輪向けの親睦に流れた印象だった。
当日、会場で配布された「かばん30周年記念会員作品」から。

捺印をお願いしますイエあれは徘徊している昼の月です       飯島章友
ジャイアンの妹ではなく初めからジャイ子という名でうまれる世界  飯田有子
わたくしをかつみと呼ぶならひらがなで 父ときみだけゆるされる繭 イソカツミ
「人類の祖先は鳥」という説の反証としてオスプレイ飛ぶ      河合大祐
傍受せり 裏の世に兄は匿われ微吟する「二一天作ノ五」      高柳蕗子
島のくらし伝えるために立っている粘土細工と木工細工が      東直子
わがビールから人のビールへ延びている鉱脈をみることも楽しい   雪舟えま

最後に、別の話題になるが、江田浩司のブログ「万来舎・短歌の庫」が再開されていることに最近気づいた。昨年の金井恵美子の現代短歌批判と島田修三の返答に触発されて連載を再開することにしたという。時評を続けるのはけっこう困難な作業である。そういうとき支えとなるのは、同時代の表現者がそれぞれの「本気」を発信し続けているということにほかならない。

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