2012年8月3日金曜日

佐々馬骨という川柳人

佐々馬骨が関西の川柳界に現れたのは2011年7月の「川柳・北田辺」(くんじろう主宰・大阪市東住吉区)の句会が最初であった。
このときの句会では席題・兼題のほかに「川柳相撲」が行われた。ジャンケンで東西に分かれ、先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の五名を選抜、対戦直前に発表された題について三分以内に作句する。勝敗は対戦選手以外の参加者の挙手で決めるというものである。
馬骨は東方の先鋒として登場し、西方の先鋒・次鋒・中堅・副将の四人を次々に打ち破ったのであった。相手の大将には惜しくも敗れたが、馬骨の才気は参加者に強烈な印象を残した。ちなみに、このときの彼の句は次のようなものである。

オーバー追いかけすぎて追い越した恋   席題「オーバー」
クロネコヤマトがクロネコヤマト撫でる  席題「撫でる」
何者だ黄色い谷の男と女         席題「谷」
合鍵がメーター持って帰ったよ      席題「メーター」
芸名はカラオケ一曲200円        席題「名前」

翌月の8月、馬骨は京都の川柳句会「ふらすこてん」に姿を見せた。そのときの彼の句を挙げておく。

ナガサキはだいぶ先です牛屈む     席題「屈む」
ヒロシマを通りすぎては犬屈む
アスファルトのため息あたりめを裂く  兼題「裂く」
鵜飼の鵜さらに人の指はきだす     兼題「さらに」

その後、馬骨は「北田辺」「ふらすこてん」の両句会で、川柳を作り続けた。「北田辺」の句会に馬骨はいつも酒壜を持参してきた。彼自身は体調が悪くてあまり飲めなかったが、参加者にふるまっては談笑するのだった。この句会が気に入っていたのだろう。
川柳人として活動したのは約半年、次のような作品を書いている。

ルービックキューブの一室秘密基地
むかしむかしスリッパの宇宙船があった
とさかの青い鶏がいて仏門に入る
図鑑から鳥の目族が攻めてくる
鳩の糞が等高線に落ちてきた
日曜大工で納棺を作った
森にいるうしろの正面はダリ君だ
変なかけら親指と親指のあいだ
60と70が並ぶ嘘みたいに
透明な老人集う海の底
ほろほろと身軽足軽近江の出
上空にUFO竹槍を持て
世の中は底辺×高さ÷欲
深海魚新年会のあと冬眠す

「深海魚」の句は2012年1月7日の「ふらすこてん」句会での作品。とても体調が悪そうに見えた。これを最後に彼の姿は句会では見られなくなり、2012年6月7日に帰らぬ人となった。1954年生まれだから、享年58歳だろうか。部屋のカレンダーには6月24日のところに「北田辺句会」と書かれていたという。

佐々馬骨は佐々木秀昭という名の俳人であった。
出発は短歌で、塚本邦雄の門下としてスタートしたと聞いている。20年ほど短歌を書いていたようだが、俳句に転じた。佐々木秀昭句集『隕石抄』(2008年・霧工房)には次のように書かれている。

「思へば二十年ほど前から短歌を始めた私でしたがいつの頃からか自分の体内に流れる韻律は俳句であるやうな気がしてきました。手元にある記録からですと1989年5月に自分の意志で句を初めて作つたとあります。以来沢山の句会や同人誌に参加させてい ただきました」(あとがき)

美しきサイコロほどの火事ひとつ

『隕石抄』の巻頭句である。「美しきサイコロ」が喩となって「火事」に結びついていく。短歌的喩とも見えるが、五七五定型のなかに言葉が美しくおさまっている。「美しく」からはじまりながら「火事」にゆきつくところに作者の性向がうかがえる。

その辻を曲がれば梅か不幸せ

『隕石抄』の代表句と私は思っている。
辻を曲がるまで何があるか分からない。香がしているから梅だと予測できるが、ひょっとすると不幸の匂いかも知れない。ここにも作者の気分が反映されている。

句納めに思ひ出されるトニー谷
呼べば咲くねぢ式である白牡丹
七月の深爪をする家系かな
思ふ。丸、三角、死角、夏の宵
炎帝に憑りつかれゆく馬の骨
九月尽箱も爆発したいだらう
虫売りの父が呼びこむ美少年

暗い作品ばかりというわけではなく、諧謔があったり耽美的であったりもする。日常世界の背後にあるものを見る目が川柳眼とも通じるところがあって、晩年の彼は川柳にはまっていったのだろう。
俳句仲間と連句を巻くこともあったらしく、昨年の「第五回浪速の芭蕉祭」の応募作品にも連衆のひとりとして名を連ねている。入選はしなかったが、歌仙の表六句を紹介する。

白昼やふつと消えたる蓮見舟     雲水
 つぎつぎに葉を返す南風       令
杜の国ひとまたぎする夢を見て    馬骨
 練り歯磨きを絞り出す指      雲水
月光に翁面なる舞ひ人は        令
 漂白の果て二学期始まる      馬骨

『隕石抄』に戻ると…

隕石の中に淡雪眠りたる

彼が偏愛した隕石のイメージである。
私は井上靖の詩集『北国』に収録されている散文詩「流星」を思い出す。長くなるが引用しておきたい。

高等学校の学生ころ、日本海の砂丘の上で、ひとりマントに身を包み、仰向けに横たはつて、星の流れるのを見たことがある。十一月の凍つた星座から、一条の青光をひらめかし忽焉とかき消えたその星の孤独な所行ほど、強く私の青春の魂をゆり動かしたものはなかつた。私はいつまでも砂丘の上に横たはつてゐた。自分こそやがて落ちてくるその星を己が額に受けとめる地上におけるただ一人の人間であることを、私はいささかも疑はなかつた。
それから今日までに十数年の歳月がたつた。今宵、この国の多恨なる青春の亡骸―鉄屑と瓦礫の荒涼たる都会の風景の上に、長く尾をひいて疾走する一箇の星を見た。眼をとぢ瓦礫を枕にしている私の額には、もはや何ものも落ちてこようとは思はれなかつた。その一瞬の小さい祭典の無縁さ。戦乱荒亡の中に喪失した己が青春に似てその星の行方は知るべくもない。ただ、いつまでも私の瞼から消えないものは、ひとり恒星群から脱落し、天体を落下する星といふものの終焉のおどろくべき清潔さだけであった。

佐々馬骨はそのような流星として私の記憶の中で生き続けることになるだろう。


(来週は夏休みをいただいて休載します。次回は8月17日にお目にかかります。)

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