2012年7月6日金曜日

川柳の根本精神をめぐって―田口麦彦著『川柳入門』

6月30日(土)
「ほかいびと・伊那の井月」がいよいよ今日から大阪でも上映されることになったので、さっそく見に行った。場所は九条のシネ・ヌーヴォ。あいにくの雨。
井月のことは石川淳の『諸国奇人伝』で知ったから、随分以前から井月には関心があった。つげ義春「無能の人」という漫画もある。伊那に山荘をもっている連句人の久保田堅市氏から井月の映画化の話を聞いたのが4年前で、伊那の井月の俳諧史跡を訪ねたのが2008年5月。六道堤や井月墓などは鮮明に記憶に残っている。
監督は北村皆雄。主演は田中泯。北村監督はドキュメンタリー映画を撮り続けていて、民俗学にも詳しいという。ドキュメンタリー・フォークロアという用語もあるらしい。井月に扮する田中泯以外はプロの俳優を使わず、地元の人々が演じている。その表情が自然だ。中には監督の小学校時代の先生や郷土史家などもいるという。
上映後、北村監督と上野昂志(映画評論家)のトークを聞いた。監督は伊那の出身。伊那を飛びだした彼が故郷をどのような気持で映画化したのだろうと考えながら対談を聞いていた。
帰り道、九条の商店街でひとり居酒屋に入る。この街はけっこう呑み屋が多い。居酒屋探訪が楽しめそうだ。

7月1日(日) 
玉野市民川柳大会。雨。
岡山駅から茶屋町乗り換え、宇野駅に着く。
会場には10時40分ごろに到着。投句〆切が11時半。急いで句を書く。
出席者120名くらいで、ひとり二句出句だから250句近い句数になる。そこから平抜き43句、佳吟5句、準特選1句、特選1句。
兼題「模様」の選をする。
いずれ発表誌が出されるが、私が選んだ特選句だけ紹介する。

想い馳せると右頬にインカ文字   内田万貴

7月3日(火)
森田智子の第四句集『定景』(邑書林)を読む。
第一句集『全景』、第二句集『中景』、第三句集『掌景』だから、こだわりのある句集名である。森田は俳誌「樫」の代表。野口裕に誘われて一度句会に参加したことがある。

走馬灯真上から見る無神論  森田智子
コスモスは紀音夫の宇宙風微か
五月くる楽観主義のオランウータン
先に来て凧揚げている待合せ
春愁の感情線に塩を振る

7月5日(木)
田口麦彦著『川柳入門・はじめのはじめ』(飯塚書店)を読む。
田辺聖子の序文「川柳の根本について」では次のように紹介されている。

ここで田口さんは、やさしい文章で説明されてはいるものの、川柳の根本精神をまず提起していられる。氏はそれを「こころざしが必要」という言葉で表現されている。文明批評の精神を根本に据え、人間諷詠を中心にしたものが川柳である、と。

川柳に「こころざし」が必要とはどういうことだろう。
第三章「川柳との出会い」の中に〈 はじめに「こころざし」ありき 〉という部分がある。川柳は短歌・俳句とくらべて文芸価値の低いものなのだろうか、という問題提起のあとで田口は次のように述べている。

私は、そのようなことは決してない―と、信じております。川柳を作るためには、「こころざし」が必要なのです。それも、「人間が生きて行くということは、どういうことなのだろう」と、問いかける強い「こころざし」が出発点になるのです。

そして田口が川柳を書く出発点が語られる。昭和28年6月、九州地方を襲った大水害(6・22熊本大水害)を前にして呆然と立ちすくんだ麦彦は、生きている証しとして川柳を書き始めたという。

水引いて誰を憎もう泥流す   田口麦彦

火災によって無一物となってから「川柳の鬼」となった定金冬二、男性社会に挑戦して独自の世界を切り開いた時実新子、田口の師匠の大嶋濤明のことにも触れられている。
「こころざし」と言われると身を引いてしまうし、私なら「こころざし」という言葉は使わないが、人が川柳をはじめるときの「何か」。それを田口は「こころざし」と呼んでいるのだろう。「それ」があるから川柳を書き続けられるし、さまざまな事情で川柳から離れざるをえなくなっても結局は川柳を捨てられないような何か本質的なもの。そういうものをもっているのが本当の川柳人なのだろう、と考えた。

長靴の中で一ぴき蚊が暮し     須崎豆秋
大宇宙両手ひろげた巾のなか    大嶋濤明
この溝を一緒にとんでくれますか  高橋かづき

7月6日(金)
このブログも今日で99回を数えた。
次週は100回目となるが、ふだん通りに書くか、それともささやかでも何かの特集にするか。そのときの心のままにまかせることにしよう。

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