2012年5月4日金曜日

岡田幸生句集『無伴奏』

「週刊読書人」(5月4日)の「ニューエイジ登場」に佐藤文香が「俳句…嗚呼、輝ける無駄」という文章を書いている。

「俳句は、役に立たないから好きです。役に立つというのは、たとえば新しいチョコレートの販売促進になったり、『車は急には止まれない!』という看板のように誰かを救おうとすることです。俳句は、そういったことに使うものではない。ある意味ピュアです」

「第3回BSおかやま川柳大会」(2010年4月)で佐藤文香は「自分が選ぶときに大きな基準があることがわかりました。それは、その句がこの社会にどれだけ貢献しないかということです。風刺はともすると社会の役に立ってしまう」と発言して川柳人を驚かせたが、俳句に対する佐藤のスタンスは2年前と少しも変わっていない。彼女にとってぶれることのない俳句観なのだろう。

紫陽花は萼でそれらは言葉なり    佐藤文香
歩く鳥世界にはよろこびがある

関悦史の句集『六十億本の回転する曲がった棒』(邑書林)が第三回田中裕明賞を受賞した。関は「宗左近賞」にもノミネートされていて、その残念会を開いている最中に田中裕明賞受賞の連絡が入ったという。

美少女キャラの嗚呼上すぎる口の位置   関悦史
ぶちまけられし海苔弁の海苔それも季語
死ンデナホ性トイフ修羅止マザリキ
口閉ぢてアントニオ猪木盆梅へ

関は評論・実作ともに現代俳句の先端をゆく存在である。
当ブログでも関の「『難解』な川柳が読みたい」(「バックストローク」33号)に触れて、「難解問題は権力闘争だったのか」というタイトルの文章を書いたことがあるが、今もって本ブログにおけるアクセスの最高数を記録していることを蛇足として報告しておきたい。

さて、歌人の発言に目を転じると、ホームページ「小説家になりま専科」の「その人の素顔」(4月24日)で穂村弘は池上冬樹の質問に答えて次のように発言している。

――ほかのジャンル、たとえば川柳についてはどう思われてますか。
穂村 非常に難しいジャンルですよね。俳句との関係性をどうしても意識せざるを得ない。いつもアイデンティティを、どこにあるのか、川柳というものだけが持っている川柳性というものは何かを、説明できないと本当はいけないと思うんですよ。俳句と同じ姿をしているんだから。
 でもその部分がなぜか曖昧になっている気がしていて、だから、技法以前に川柳の川柳性というものが何か気になってしまうんです。一般的には人間が描かれていて風刺があるものが川柳とされますけど、それだけじゃないですからね。そういった意味で関心を持っています。

相変わらず俳句と川柳の違いについて川柳側に説明責任を求められている。川柳に対する関心の入口として、俳句との違いは大きなことなのだろう。入門書レベルよりもう少しすっきりしたかたちの啓蒙レベルでの説明を用意することが必要となる。
このような外向けの説明を常に求められるものに、たとえば「自由律俳句」がある。
先日、岡田幸生句集『無伴奏』(そうぶん社出版)を読む機会があった。1996年に発行された自由律の句集である。

無伴奏にして満開の桜だ     岡田幸生
見ているところを奥のミラーで見られていたか
きょうは顔も休みだ
通過電車ばかりで別れられない
あなたの影猫の影包んだ
鳶輝いたおしっこ
夏雲みたいにすずしい顔して化けてみたいな
蟄居蟄居と山鳥にいわれた
こんどうまれてくるときもそうかコスモス
はやくむかえにきてと書いてどこへいったか
雀の死骸の薄目あいている
無視した子猫消えてしまった
チベットの風に吹かれて下着も乾く
吊橋の星のなかをいく

住宅顕信以後の自由律俳句がどうなっているのか、私たちはあまり知らない。句集の中には五七五や七七のリズムの句もあり、また「~だった」という文体が多くて単調な部分もあるが、掲出句などは独自の世界を感じさせて好感をもった。
句集の「序」で北田傀子は岡田との出会いについて「随句がわかるかわからないかは体質の問題であって、今の若者(特に男性)にそんなものは実在していないような気がしていたのだったが、それが受けいれられる体質の若者が突然目の前に現れて私は驚いたのである」と述べている。
「随句」という用語は初めて聞くが、自由律俳句のことらしい。インターネットで検索してみると、随句のホームページも出てくる。北田によると、随句は一種の「ひらめき」(肉体感覚)で、平常の大和言葉(日常語・口語という意味か)による三節の韻文となる。私の理解している「自由律は一人一律あるいは一句一律」という説明と少し異なるが、「随句」と「自由律」ではニュアンスの差があるのだろう。
いささか旧聞に属するが、「俳句界」2010年12月号の特集「こんなに面白い!現代の自由律俳句」でも岡田幸生を含めた現代の自由律作品が取り上げられていた。

生返事の口紅つけている         岡田幸生
どの蟻もつかれていない隊商のラクダだ  塩野谷西呂
あじさいといっしょに萎びる       湯原幸三
裸 星降る               中原紫重
虚構ノ美シサ触レレバ風ニナル      近木圭之介

「生返事」の句も句集『無伴奏』に収録されている。90年代に岡田幸生が自由律俳句のフィールドで単独に表現していたものは、ゼロ年代の短歌表現とも決して無縁ではないと思われる。単独者としての自己表現こそが文芸の本来の姿とはいうものの、良質の抒情はそれだけではなかなか評価されにくい時代なのだろう。

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