2011年10月21日金曜日

柳俳の違いはいかに説明されてきたか

川柳と俳句の違いについて、川柳入門書ではこれまでどのように説明されてきたのだろうか。川柳と俳句の本質的な差異を追求する「柳俳異同論」を蒸し返そうというのではない。今回はごく浅い意味で入門書的な説明を一瞥してみようというのである。

昭和30年前後に六大家による川柳入門書が相次いで刊行された。
川上三太郎著『川柳入門』(昭和27年、川津書店)では「川柳とは原則として人間を主題とする十七音の定型詩である」と定義されている。「原則として人間を主題とする」(内容)と「原則として十七音の定型詩」(形式)をふまえ、「原則」以外の「例外」も許容するものとなっている。また、「川柳と俳句の相違はどこにあるか」の章では「川柳は人間的、俳句は自然的」としたうえで、芭蕉の句に対して自句を川柳の実例として挙げている。

名月や池をめぐりて夜もすがら    芭蕉
名月にちちははならぶ久しぶり    三太郎

三太郎は、まず「川柳とは何か」を大雑把に説明する。続いて「俳句との違い」に触れ、前句付から発生した川柳の歴史を述べる。川柳入門書にはこのようなパターンが多い。

次に、岸本水府著『川柳読本』(昭和28年、創元社)では「川柳は俳諧から出ているだけに、俳句に似ているが、俳句が花鳥諷詠、季感(四季の感じ)を主としているに対し、川柳は社会、風俗を詠む人間諷詠というべき立場をもっている」(「川柳一分間手引」)という。また、「俳句と川柳」の章では、「川柳は、人間を描くのですが、俳句は自然を描くのです」として、川柳は自然を描いても、それを人間の世界におくと述べている。具体例として、「俳句では、相撲(人間)をみても、自然の風物として、秋の景物に入れ、川柳では桜(自然)をみても、人間との交渉を考えます」と説明されている。「もともとこの二つの短詩型文学は同じ俳諧からほとんど時を同じうして別々の道を進むようになった、いわば双児のようなものですから、生まれた時から似ていたのであります」
水府は、俳句は「花鳥諷詠」、川柳は「人間諷詠」と分けたうえで、表現領域の拡大によって柳俳の境界があいまいになってきていることについても述べている。初心者向けの説明として妥当なものではないかと思われる。

続いて、麻生路郎著『川柳とは何か―川柳の作り方と味い方』(昭和30年、学生教養新書・至文堂)を読んでみよう。「川柳とは人間及び自然の性情を素材とし、その素材の組合せによる内容を、平言俗語で表現し、人の肺腑を衝く十七音字中心の人間陶冶の詩である」というのが麻生路郎の定義である。「川柳と俳句の相違点と類似点」という章では、「川柳と俳句とどう違うかと云うことをよく訊かれる。それは形式が同じ十七音字であるから門外にいる人達には判別が出来難いからであろう」と述べたあと、「形式から云えば川柳も俳句も同じく十七音字中心の短詩であるが、用語が俳句の方は韻文であり、川柳の方は主として平言俗語であるため一読した時に、形式まで違っているのではなかろうかと思うほどに違った感じがする」「川柳は俳句にくらべて表現上かなりに自由ではあるが、無制限に自由ではない」「川柳と俳句とは共に一行詩であるが、俳句は『名月や』と『池をめぐりてよもすがら』のように二つの観念に分けることが出来るが、川柳は『母親はもつたいないがだましよい』のように詠まれて二つの観念に別けることが出来ないから、俳句は二呼吸詩であり、川柳は一呼吸詩であると云うように分類している人もあるが、これとて例外もあるので、そういう違いもあると云うに過ぎない」「俳句は叙情詩であるが、川柳は単なる叙情詩ではなく批判詩である。時に多少の例外はあるとしても、この物尺によれば俳句と川柳との区別はそうむずかしいものではない」などと説いている。
このあたりから異論が出てくることが予想されるが、路郎が比較しているのは定型派の俳句と定型派の川柳であって、自由律や無季俳句は考慮に入れていない。「十七音字」というのは字数のことではなく「十七音」の定型という意味だろう(たぶん「十四字・七七句」と区別する意味で使っている)。俳句は韻文、川柳は俗語というのも注釈がいるところだろう。一歩踏み込むとさまざまな議論になるだろうが、川柳入門書としてはけっこう突っ込んだところまで書いているという印象を受ける。路郎の説明の要諦は「川柳は批判詩」というところにあり、この方が「人間陶冶の詩」というモラルをふくんだ定義よりもすっきりするのではないだろうか。

以上、六大家の中から三人の本を取り上げたが、それ以後のものとして斎藤大雄著『現代川柳入門』(1979年、たいまつ社)を見てみよう。「川柳の定義」で斎藤は次のように述べている。「川柳とは短詩型文芸のひとつの形式に与えられた呼称で、その形は五音、七音、五音、すなわち十七音字を基本として成り立っているということがいえる。その内容は『可笑しみ』『穿ち』『軽味』を主流とした人間探求詩、または批判詩であるといわれている」
斎藤は麻生路郎の定義をほぼ踏襲、また内容的には三要素を受け入れている。そしてサトウ・ハチローの詩を引用している。

五・七・五でよむ
悲しみをよむ
さびしさをよむ
母の声をよむ
友だちの姿をよむ
待ちどうしい おやつをよむ
はらぺこをよむ
ふくれるしもやけをよむ
風にひりつくあかぎれをよむ
ありのままをよむ
五・七・五でよむ

人間の「喜怒哀楽」に限定されているが、サトウの詩は初心者にも分かりやすいだろう。渡辺隆夫の「何でもありの五七五」を連想させる。
斎藤は川上三太郎の『川柳入門』を踏襲して、「名月や池をめぐりて夜もすがら」(芭蕉)と「名月にちちははならぶ久しぶり」(三太郎)を例に挙げて次のように説明する。俳句の「名月」は句の主題であるが、川柳の「名月」は句の主題ではなくて副題であり、「ちちははならぶ」の方が主題なのだという。「川柳は人間を主題にしているが、俳句は自然を主題としている。ここに川柳と俳句の主な相違がある」
次の例はややレベルアップしている。

行きくれてなんとここらの水のうまさは   山頭火
行倒れどろどろ水に口をやり        剣花坊

「両方の句とも咽喉の渇いた状態を詠っているのであるが、俳句は感覚的に捉えているのに対し、川柳は主知的、生命的に捉えているのである。現代川柳と俳句の根本的な違いは、川柳の主知性と俳句の感覚性にあるといえよう」
このあたりになると必ずしも対照性が明確ではない。自由律俳句・無季俳句と川柳を比べると、両者の違いを言語化するのは難しくなる。

それでは、現在ただいま書かれている入門書では、柳俳の違いはどのようにとらえられているだろうか。サンプルとして南野耕平著『川柳という方法』(2010年、本の泉社)を取り上げてみよう。「川柳と俳句の違い」の章ではこんなふうに書かれている。
「これから川柳を作ろうとされる人は、川柳と俳句の違いについて、あまり強く意識する必要はないと私は思います。極論をすれば、アナタが作った五・七・五が、この時代に川柳と呼ばれるものであろうが、俳句と呼ばれるものであろうが、構わないと思っています。『わたしの五・七・五と思える手応えある作品』が出来ること。これが一番重要で、あとはその作品を川柳の場で評価してもらうか、俳句の場で評価してもらうかの違いだけの話だと思います」
作品が第一で、川柳の場で評価されるか(その場合は「川柳」と呼ばれる)、俳句の場で評価されるか(その場合は「俳句」と呼ばれる)は次の問題であるというのだろう。南野は「川柳と俳句のボーダーライン」の項ではもう少し深めて、「こちらからあちら側に掴みに行く方向」が川柳、「あちらからこちらに来るものを受け止める方向」が俳句だと述べている。「こちら」とは作り手の立ち位置、「あちら」とは表現の対象を指すようだ。

以上、柳俳の違いがこれまでどう説明されてきたのかを見てきた。川柳人は意外に川柳を定義することに熱心だったのではないだろうか。これまで柳俳の違いを説明することを求められてきたのは川柳人の側であって俳人側ではなかった。俳人は自己のアイデンティティについて問われることはなかった(例外的存在として日野草城の場合が思い浮かぶ)。
川柳人は「川柳と俳句の違い」の説明を求められてきただけではない。もうひとつ、「川柳と狂句との違い」を説明することを負わされてきた。むしろこちらの方に精力を注いできたと言ってもよい。時代の変わり目には常に「川柳性」についての問い直しが生じる。川柳の先人たちはむしろこの問いによく応えてきたのではないだろうか。ただ、その発信が微弱だったために、一般読書人には届きにくかったのである。
川柳には川柳のアイデンティティを問いつめる他者が周囲にいろいろ存在する。川柳は他者を取り込みつつ、自らの存在感を高めていかなくてはならない。ジャンルを純粋化すればするほど、逆にそのジャンルの免疫力は弱まっていくことになる。ジャンルの純粋化ではなく、形式の恩寵に安住できない「川柳」のプラス面をそろそろ声高に唱えてもよい時期が来ているのではないだろうか。

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