2011年7月29日金曜日

伊那谷の母系社会―畑美樹の川柳

加島祥造はかつて英米文学の翻訳者として活躍し、フォークナーの『八月の光』の翻訳は私も読んだことがある。加島は60代半ばで信州の伊那谷に移り住み、詩集『求めない』や老子の思想を血肉化した『伊那谷の老子』は広く読まれている。先日、朝日新聞の夕刊(7月19日~22日)に彼のインタビュー記事が掲載されていて、なつかしく思った。

伊那谷は漂泊の俳人・井上井月(いのうえ・せいげつ)のゆかりの地としても知られている。井月は石川淳の『諸国畸人伝』にも登場するし、つげ義春の漫画『無能の人』にも描かれているが、最近、映画「伊那の井月・ほかいびと」(監督・北村皆雄)が製作され、この11月には伊那で上映される予定と聞いている。

「私が住む家のすぐ近くに、漂白の俳人井上井月終焉の地がある。芭蕉を崇拝し、奥の細道をたどったこともあるという井月、晩年、中央アルプスを見渡せるその地で、

  何処やらに鶴の声聞く霞かな

という句を残した。実際、本当にアルプスを見上げて作ったのか、定かではないけれど、我が家の庭からも見える山々の頂と霞む谷の情景は、和紙に墨がにじんでいくように、私の中にもなじんでいく」

畑美樹は井月についてこんなふうに書いている(「柳の家」、セレクション柳人『畑美樹集』所収)。「バックストローク」編集長の畑美樹は伊那在住の川柳人である。
数年前、伊那の友人の山荘に連句人が集まって、歌仙を巻いたことがある。畑美樹にも参加してもらって、井月ゆかりの地を案内してもらった。六道堤で話が野草のことになったとき、畑は堤の斜面をこともなく歩き降り、野草を手にとって私たちに説明した。都会人ならすべったり転んだりしそうな斜面である。このとき私は畑美樹の自然人としての面を実感したのである。

「Leaf」4号(7月15日発行)に吉澤久良が「感性に拠る―畑美樹論」を書いている。畑美樹の作品に「まんなか」という語が頻出することを指摘したあと、吉澤はこんなふうに述べている。

《 自分の〈位置〉が「まんなか」であると、なぜ畑に感じられるのか。それは、〈位置〉計測の基点となる羅針盤が畑の感性の中に据えられているからである 》

ここで問題にされているのは畑美樹における「感性」「感覚」の在り方である。ただし、吉澤は続けて次のようにも書いている。

《 もちろん畑は、自己の〈位置〉が「まんなか」であると常に思っていられるほどの自信家でも楽天家でもない。「まんなか」「正確」「まっすぐ」とは、〈位置〉への希求として表現されているのだ 》
《 しかし、その希求は同時に、自分の〈位置〉が本当に「正確」で「まっすぐ」であるだろうかという不安によって、常に揺さぶられている。感覚とは本質的に揺らぐものなのである 》

「Leaf」4号から畑美樹の作品を引用してみる。

夕立ちをかすかに光らせる左辺   畑美樹
一滴のこだまを抱いている左辺

「夕立ちを」と「一滴の」はともに「左辺」に収束して対応している。兵頭全郎はこの両句を「抵抗」というキーワードで読み、「光らせる」「抱いている」という能動的な動詞に注目して、次のように述べている。

《 今回の畑作品はおおむね作中主体が能動的に動いているが、自発的な能動性というより、むしろある状況に置かれた中でどうにか動かざるを得ない、ならばせめてもの抵抗を、といった感じだ 》

骨としてうぐいすとして出迎える  畑美樹
泣きそうな馬をさがしに行くところ

この二句について清水かおりは次のように述べる。

《 畑美樹の作品に漂う、ゆだねるような感覚は、書かれた主体の持つ意識が希薄なところから来ている。》《 全ての物事、全ての存在は流動的で一時も同じところに留まってはいない。私達が固有の存在と思っている自己のことを、畑の作品というフィルターを通して見てみると突然あやふやなものになってくる 》

そして、清水は「畑は句を書くときに読者のこういう反応を考えたことがあるだろうか」と問い、「畑は読者を意識しない。こちら側から作品の向こう側を指さしているだけなのである」という。

包丁は遠くで匂う与論島    畑美樹
一握の砂を東に曲がるふね

「一握の砂」は単なる記号ではなく、私には強い意味を発信しているように感じられる。啄木的なもの、短歌的なものに対する畑の嗜好・親和を語っている。兵頭全郎は啄木を読み込んだ読者と単純に「ひとにぎりの砂」と読む読者とでは解釈に差が出てくると述べているが、この句の場合は啄木を意識しないわけにはいかない。短歌憧憬は畑の低音部なのであろうか。

前掲の加島祥造のインタビューで、彼はこんなふうに述べている。

人間だってずっと以前、母系社会だったころは「共に生きる」が原則の生活だったのに、父権社会になって、争いが始まったのだと分かり始めました。自然と老子の両方から知ったことです。

加島も井月も伊那の母系社会の中で再生することができたのだろう。
他所からやって来た男たちはそれでいい。では、伊那の女性たちの心の底は本当のところどうなのだろうと考えてしまう。
「伊那井月会」発行の「井上井月・夏の五十句」から井月の夏の句を紹介しておく。

よき水に豆腐切り込む暑さかな     井月
茹ものは皆水替へて明け易し
みな清水ならざるはなし奥の院
短夜や筧の音の耳につく

この時評は昨年の8月にスタートしたから、今月末で丸一年になる。
大学時代に学んだゲルマニズム(ドイツ文学)では「ギリシア精神(ヘレニズム)」と「ユダヤ精神(ヘブライズム)」ということを言う。ギリシア精神は過去のすべてが現在の一点に凝縮されているととらえる。ユダヤ精神はひたすら未来をめざして進んでいく。砂漠の民は次のオアシスを目指して歩み続けなければ生きてゆけないのである。
このブログも、存在するかどうか曖昧なオアシスをめざして書き継いできたが、過去を振り向くことなく、これからも進み続けるほかない。

0 件のコメント:

コメントを投稿