2011年7月1日金曜日

たむらちせい句集『菫歌』について

古代人にとって自然は人間と同じように言葉を発するものであった。たとえば『風土記』には「草木言問ひしとき…」という表現が出てくる。
現在でも草木や水の流れが言葉を語っているように感じられる土地があるとすれば、それは飛鳥や大和であろう。『万葉集』の故地である飛鳥を訪れると、風にそよぐ草がまるで人語を語っているかのように感じられる。
たむらちせいの第6句集『菫歌』(きんか)の「あとがき」に曰く、「古代人の高感度の聴力では、草や木の言葉を聞きとめたという。その中でも菫の発する言葉がもっともわかりやすかったそうだ。菫の歌う声も感じることができたであろう」
従ってこの句集のタイトルは「菫が歌う」という意味で、菫が主語であって、星菫派の抒情ではない。
「あとがき」には次のようにも書かれている。「前句集『雨飾』では〈三輪山や菫の言葉聞きもらす〉と詠じた。大和の山の辺の道を歩き、三輪山に遊んだとき、万葉人に還ったような気分になったのだった」

春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける  山部赤人
大大和野のまぐはひに菫敷き      たむらちせい

大和の草木の言問いと土佐の草木の言問いとはおのずから差異があるだろう。私たちは古代人そのものではありえないから、関西の風土を通じて聞き取るアニミズムのあり方と土佐の風土を通じて聞き取るアニミズムのあり方との間にはズレあって当然だろう。『菫歌』は作者の通過してきた時の流れを感じさせて、とてもおもしろい句読体験をもたらす句集である。

肉食らふ私と桜が鏡裡ヒトラー忌
鏡より翔ちたるは揚羽か姉か
時雨るると鏡の奥を濡れてきし
夢の端鶯笛の鳴つてゐし

「鏡」と「夢」と「蝶」。
「鏡」「鏡像」の句はたくさん収録されている。その中で「ヒトラー忌」の句が最も印象的であった。鏡の中に「肉食らふ私」と「桜」が映っている。忌日にもいろいろあるが、「ヒトラー忌」というのはインパクトがある。

芹洗ふ長女賢し仁淀川
カマキリの貌よく見れば乃木大将
少し考へて藁塚を離れけり
鶴の絵を百枚描きて描き足らぬ
糸巻に身をくねらせて春の息子
少年の閨の荒びや蝉丸忌
にんにくや土佐鬼国に我等棲み

何もかも風土に還元する読み方は好まないが、背景に土佐の風土があることは無視できない。セレクション柳人『古谷恭一集』(邑書林)の解説で私は次のように書いたことがある。

〈 土佐は古来、佐渡や隠岐と同じように都から流人が配流されてくる「遠流の国」であった。源平合戦の頃には多数の落武者が逃げのびてきたともいわれる。「遠流の国」はまた「鬼の国」でもあって、土佐人には中央と周縁というせめぎあいの意識が強いようだ。「真葛原分けて都を探しにゆく」という、土佐の俳人・たむらちせいの句の心情は、恭一の作品世界の根底にも流れているだろう 〉

たむらちせいの名を私が知ったのは、平成16年5月に高知で開催された「川柳木馬創立25周年記念大会」のときであった。この大会には、たむらちせい・味元昭次両氏が参加していたのに、お話する機会がなかったのは残念である。

山椒魚になりたる夢のあとの貌
千年後この水仙にまみえむか
火星より来て億年の曼珠沙華
流され皇子みまかりし地の鈴虫草
来世はおほむらさきとなるきつと

これらの句ではアニミズムというより荘子の斉物論に近くなる。胡蝶の夢。母も家族も友人も、生者死者の区別なく、夢の中ではみな生きている。時空の区別もなく、対象は千年というタイムスケールでとらえられている。老境と言うよりむしろ艶なる境地のように思えるのだ。

手に触れて女体のごとし秋の瀧
白菜割ってとつぜん妻若し
少年の日は鎌鼬居りにけり

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