2011年6月25日土曜日

雑俳の話―太田久佐太郎と現代冠句

今回は時評ではなくて、雑俳の話をしてみたい。
雑俳の解説書を読むと、前句付をルーツとする川柳は雑俳の一種に分類されている。特に雑俳のうちでも笠付(冠句)は川柳と関係が深い。
川柳作品のうち冠句的手法を用いている作品から話を始めよう。川上三太郎の連作「雨ぞ降る」は川柳人によく知られている。

雨ぞ降る音なし香なし海五月   川上三太郎
雨ぞ降る地を噴きいでて桃咲ける
雨ぞ降るわが子の宿痾言ふなかれ
雨ぞ降る渋谷新宿孤独あり
雨ぞ降るリュックの米をこぼし行く
雨ぞ降る地を傷つけて電車混む
雨ぞ降るけものの如きすとらいき

上五がすべて「雨ぞ降る」で始まっていて、それに対する十二音の展開・ヴァリエーションによってひとつの作品世界を作り上げている。「雨ぞ降る」を冠句における冠(笠題)と同じように捉えることができる。屹立する一句としては「雨ぞ降る渋谷新宿孤独あり」が有名であり、他の句はそれほど印象に残らない。三太郎は「河童満月」「孤独地蔵」「せいぢか」「一匹狼」「恐山」などの連作を作っているが、「孤独地蔵」の場合も上五がすべて同じ、「一匹狼」「恐山」では上五以外に用いる句も混在している。「せいぢか」の場合は上五に用いているが、「せいぢか」が四音なので「せいぢかの」「せいじかに」「せいじかは」というかたちになっている。笠付の分類で言えば「伊勢笠付」に相当する方法である。
冠句と川柳とは出来た作品からだけでは区別することができない。実際、一人の作者が冠句と川柳を並行して作っていることもあるらしい。

筑紫磐井著『近代定型の論理』(邑書林)の第二部「近代雑俳の論理」では、近代雑俳として狂俳・冠句・淡路雑俳・土佐狂句・肥後狂句・薩摩狂句などが取り上げられているが、私が特に興味をもつのは冠句(正風冠句)である。
笠付(冠句)の創始者は京都の堀内雲鼓で、元禄6年にはじめて興行されたという。昭和9年に雲鼓の墓碑が発見され、上徳寺(京都市富小路五条下る)に「日のめぐみうれしからずや夏木立」の句碑が建立された。頴原退蔵の銘文に曰く「冠句ハ俳諧ノ大衆性ヲ最モ要約セル文芸タリ。之ヲ世ニ汎クセルハ雲鼓翁ノ力ニ拠ル。其ノ編セル夏木立ハ実ニ冠句集ノ嚆矢トス。今ヤ冠句ガ大衆文芸トシテ新生面ヲ拓カントスルニ際シ久佐太郎氏等相謀ツテ該集巻頭ノ一句ヲ石ニ勒シ以テ翁ノ業績ヲ顕揚セントス」
太田久佐太郎(明治24年~昭和30年)は神戸に生まれ、10代から川柳に親しんでいたというが、「講談倶楽部」の冠句欄の選を担当するようになったのがきっかけで、近代冠句史に重要な役割を果たすようになった。講談社は創立後「読者文芸欄」を設け、冠句の大衆性に注目して種目の中に取り入れたようである。久佐太郎の回想によるとこんなやりとりであった。

ある時、城月さんがヒョイと頭を擡げて、「君一つ、冠句の選をして見てくれませんか」と云った。私は「へぇ。」と云ったまま俄かには受け兼ねて眼をパチクリさせてゐた。これまで冠句は自分の選であったが社務多忙でどうも落着いて選が出来ない、それでは却って熱心な投稿家諸君に相済まぬわけだから、君代ってやってくれまいかという話。私がまだ煮え切らぬ顔をしてゐるので、察しのいい氏は、「川柳をやったことがあるでせう、その意気でいいんだ」と極めて都合のいいヒントを与えてくれた。(「冠句変遷史」、『現代冠句大概』所収)

城月とは「講談倶楽部」の編集主任・淵田忠良。久佐太郎は東京へ出てくる以前、神戸の地元新聞に投句して、ひとかどの川柳家を気取っていたようだ。最初、冠句を川柳より一段下に見ていた久佐太郎は選をするうちに、川柳でも狂句でも俳句でもない冠句それ自身の世界がなければならないことに気づいてゆく。
彼は「講談倶楽部」のほか「面白倶楽部」「キング」「読売新聞」などの選者をつとめ、昭和2年正風冠句研究誌「文芸塔」を創刊した。『現代冠句大概』(昭和4年)の「扉の言葉」に曰く「冠句は今や立派な十七字詩として俳句川柳と共に、三派鼎立の姿で確固たる芸術的地歩を占めようとしてゐる。新時代に台頭せる冠句芸術を味到せんものは、速かにこの扉を開くべし」
次に挙げるのが久佐太郎の作品である。

宝石箱  いちどに春がこぼれ出る    久佐太郎
風立ちぬ 易々となびくを葦といふ
風吹きぬ かげろう日記火蛾落つ音
或る男  村から消えて秋が来る
羊飼い  まさか俺が狼とは

久佐太郎は冠句の題は題詠といっても雑詠と同じだと考えていたらしい。「題詠的創作吟」なのだという。久佐太郎にいたって冠句は近代文学の理念に近づいたものとなっている。
冠句の近代化。筑紫磐井の『近代定型の論理』から久佐太郎以外の作品を紹介しよう。

秋の道  ちちははの樹が見当たらず    麗水
耳澄ます 否定の中に軍靴鳴る       竹男
砂灼ける 悪女となりて滅びんか      寿子
風光る  すでに少女の瞳が解禁     八重子
回想記  振り向けば皆ユダヤの貌     鬼童
窓の海  挑戦の眼へ椅子すすめ      外郎

これらの作者の中には川柳人も混じっているかも知れない。引用したのは文学性のある冠句であって、冠句がすべてこのような詩的飛躍感のある作品というわけではない。ベースにあるのがおびただしい大衆的作品であることは川柳の場合と同じである。

最後に「豆川柳」というものを紹介しておこう。
五七五よりも短い句として『武玉川』の短句(七七句)はよく知られているが、それよりもさらに短い詩形があるとしたら、世界の最短詩ということになるだろうか。
上越地方(高田)の「豆川柳」と呼ばれているものは、七五句である。冠句の題を省略した形にも見えるが、冠句ではなくて七五の独立句だとされている。昭和24年、「柏崎新聞」に発見・報告された。

堅すぎて身がかたまらぬ
下戸の知らない水貰ふ
何の話にも江戸がつく
ええ雨だのう金がふる

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