2011年6月17日金曜日

白石維想楼小論

この週刊「川柳時評」を毎週金曜日更新にしたのは、この曜日が穴場だと思ったからだが、最近、「詩客」をはじめ金曜日更新のサイトが増え、半ば嬉しく半ば困ったような気分である。「ウラハイ」(「週刊俳句」の裏ヴァージョン)の「金曜日の川柳」もそのひとつ。樋口由紀子が毎週一句を取り上げ、コメントを書いている。相子智恵の「月曜日の一句」と並んで楽しみなシリーズで、俳人に川柳作品を紹介する格好の窓口であろう。
その第1回(5月20日)で樋口が紹介したのが白石維想楼の「人間を取ればおしゃれな地球なり」という句である。今回は維想楼と新興川柳について少し論じてみたい。
まず『新興川柳選集』(一叩人編・たいまつ社、1978年)から、維想楼の作品を挙げておく。

口先の巨人畳の上で死に
ついてくる犬にもあてがないらしい
銃口の迫まるが如く冬が来る
病身な俺は地球の荷物なり
人間を取ればおしゃれな地球なり
いけにへを乗せて地球は空を行く
太陽に追ひつめられて寝ころがり
吊れもせぬ棚へ虚勢の釘を打ち
何の木にも居つかず小鳥木に棲ふ

大正10年から大正15年ごろの作品である。維想楼は井上剣花坊に師事、大正9年から「大正川柳」の編集人をつとめ、剣花坊の片腕として柳尊寺を支えた。
維想楼は「大正川柳」119号に「眼覚めたる人魚の笑ひ、新興川柳民衆芸術論」を執筆していて、前掲の『新興川柳選集』にも収録されている。
維想楼は繰り返されてきた「川柳民衆芸術論」の誤謬を指摘して、自身の考えを述べている。維想楼によれば、「川柳を民衆芸術であるという人」の中には、古川柳が純然たる町人の手で作られたから民衆芸術であるという人と、川柳の用語が通俗的だから民衆芸術であるという人とがある。けれども、町人の中にも有閑(富裕)町人階級と無産町人階級とがあったので、古川柳(前句付)は発句と同様に有閑町人階級(通人)によって作られたと維想楼は見る。それを真に民衆の生活を基点とした「民衆芸術」にし、「民衆芸術としての精神」を打ちたてなければならぬというのが維想楼の主張のようだ(この点、少しぼかして書いてあり、論旨がはっきりしない)。「眼覚めたる人魚の笑ひ」という前衛的なタイトルに比べて、現在の目から見て内容がやや平凡なのが残念であるが、「民衆芸術」とか「大衆芸術」とかいうキイワードは現在でも川柳人にとって躓きの石であることに変りはない。
気になるのは、掲出句に見られる暗さ、一種のペシミズムについてである。「人間を取ればおしゃれな地球なり」の裏側には、「病身な俺は地球の荷物なり」という慨嘆があることが分かる。地球全体をポエジーの対象としてとらえるやり方は新興川柳にしばしば見られるところだが、「地球の荷物なり」の感傷性と「おしゃれな地球なり」との間には大きな飛躍がある。維想楼はどのようにしてこの飛躍を成し遂げたのだろうか。

新興川柳期の維想楼についてのまとまった評論に、田中五呂八の「白石維想楼論」(『新興川柳論集』昭和3年、所収)がある。五呂八はこんなふうに述べている。

「自分の家を持たぬ詩人は詩人ではない。芸術は自己表現だという言葉は、言葉として既に常識になっているが、見渡したところ文壇だって詩壇だって、独自の思想と独個の感情を鮮明に把握する一元的な芸術家などは、そんなにゴロゴロ転っているものではない。況や自己の生命が、どんな色彩でどんな生活帯に根を下ろしているかも意識せずに、地球の表面をおどけ廻る既成川柳家に、高い意味の芸術的な個性など、薬にしたいほども無かったのは、天から雨の降るほど当然過ぎる当然である」

「地球の表面をおどけ廻る既成川柳家」とは辛辣であるが、この「地球」という表現自体が新興川柳期のモードでもあった。白石維想楼こそ一元的芸術家・個性的詩人のひとりであると五呂八は言う。五呂八によれば、維想楼は「悲観主義の範疇に置かれるべき作家」である。
「氏の魂は常にすすり泣いている。だが、そのすすり泣きの生活層は、単純なる諦めに根を下しているものではなくして、むしろ、生きる事それ自らを否定するような心持ちの方が熾烈であるだけ、そこにハッキリした思想の余裕を見せている。されば氏の感傷性は、俗に言うロマンチックな夢の嘆きではなくして、矢張川柳家らしい智的な統一体を持ち、その統一が自らを背負い切れなくなった時には、ナマのままで無責任に絶叫して仕舞うほどの情熱を常に蔵している」

「病身な俺」の句は「小主観の詠嘆」「自嘲的」「自己憐憫」であると五呂八はその弱点を指摘している。そのような感傷的傾向の句として、五呂八は次のような作品を挙げている。

床の中まで淋しさが待っている
或時は理智の遣り場に困るなり
誹謗する時は驚くほど多弁
一本の指が罵倒のありったけ
耳底に俺だけの知る鐘が鳴る

これらの「自嘲」「感傷」「苦悩」「自己哀憐」の句に対して『自我経』以後の維想楼の作品は一転機を画しているという。『自我経』というタイトルから、維想楼はスティルナーのアナーキズムの影響下にあったのだろう。

人間を取ればおしゃれな地球なり
乳房から母の綺麗を吸っている
太陽に追いつめられて寝ころがり
ペリウドの一点を蟻湧いて出る
白いきればかり洗って疲れてる

理智は感傷性をどのように押さえるのであろうか。ナマの感傷性は文芸とは言えず、川柳精神とも背反する。それは思わず発する叫びのようなものである。それがいかに切実であろうと、叫びだけでは表現とは言えない。「病身な俺は地球の荷物なり」というルサンチマンと自虐から「人間を取ればおしゃれな地球なり」への高まりの中にこそ、白石維想楼の文学的達成はあるだろう。

昭和37年以後、維想楼は柳号を白石朝太郎に統一した。川柳人・白石朝太郎の軌跡はよく知られている。大野風柳編『白石朝太郎の川柳と名言』(新葉館ブックス)にもある程度書かれている。しかし、白石維想楼=朝太郎の全貌が明らかになるのはまだこれからのことであり、とりわけ私が愛惜するのは新興川柳期の維想楼作品なのである。

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