2010年12月24日金曜日

『超新撰21』竟宴レポート

12月23日、東京・市ヶ谷の「アルカディア市ヶ谷」(私学会館)で「超新撰21竟宴」が開催された。当日の様子は今後あちこちで報告されることだろうが、今回は川柳側から見たレポートを書いてみたい。
参加者は約190人。『新撰21』『超新撰21』に入集の俳人や小論執筆者のほか、俳人・歌人・川柳人などジャンルを越えて短詩型文学に関心のある人々が集まった。テーマは「定型 親和と破壊」。
シンポジウムの第1部「『新撰21』『超新撰21』に見る俳句定型への信・不信」は筑紫磐井の司会で進行した。「一年ぶりのごぶさたでございます。昨年は私が若手をいじめたという風評が流布しましたので、今年はしぶしぶ司会をいたします」というのが司会者冒頭の弁である。
筑紫は「俳句の歴史は新人の歴史であった」という観点から、戦後65年間の俳句における新人の歴史を次の4つにまとめた。

①「戦後新人五〇人集」(「俳句」昭和31年4月号特集)
②「第四世代」新人(「俳句」昭和37年1月特集)
③牧羊社処女句集シリーズ新人
④『新撰21』『超新撰21』新人

『新撰21』『超新撰21』に対して「若い者を甘やかすな」という声もあるらしいが、筑紫は「新人は甘やかされて育つ」という反語的な発言によって「時代は新人を待望している」ことを強調した。

磐井発言を受けパネラーの高野ムツオは牧羊社処女句集シリーズに「精鋭句集シリーズ」と「処女句集シリーズ」の二種類があったことを指摘し、そのほかに「50句競作」が印象的だったことを体験的に語った。『新撰21』『超新撰21』はこれらとは性格を異にしていて、個々人の句集として見ることもできるし、世代的・集団的な俳句の概観としても見ることができる、ということである。高野が釘をさしたのは、『新撰21』『超新撰21』に入った人たちは「ひとつの俎板に乗ったのであって、作品の価値が認められたのではない。参加者は勘違いしない方がよい」ということであった。
続いて対馬康子・小川軽舟の発言があり、それぞれ体験的に自らの新人時代を語るものだった。小川は「プロデュースだけでは実りにならない。俳句甲子園などで層が厚くなっていたところにうまくプロデュースができたのではないか」と語った。
鴇田智哉は読者としての立場から、『新撰21』は想定内だったのに対して、『超新撰21』は幅が揺れている、読みきれないという印象を語った。
パネラーの発言が一巡したところで、『超新撰21』の特色に話題が移った。俳壇では「俳句」と「俳句に似たもの」論争があったが、『超新撰21』は『新撰21』より枠組みが拡がっている。
鴇田は「言葉の世界は2階にある」という比喩的な語り方をした。「言葉の世界は2階にあり、その上に3階がある(たとえば「歳時記」による世界)。それは特殊な3階であり、それだけでやっていけるのかと思うときもある。一度2階に降りてみる。そうすれば違う3階があるのではないか」というのだ。これはなかなか興味深い捉え方である。
小川は『超新撰21』についてある種の読みにくさがあると言う。『新撰21』はバランスのとれた句集であるが、『超新撰21』は編集者の意図がギラギラしている。テーマ性があるのだ。小川は種田スガルや清水かおりの作品は「俳句」としてはおもしろく読めなかったという。このあたりから話が核心に入るのかと期待されたが、意外だったのは小川が御中虫はおもしろいと言ったこと。御中虫には「型の引力」が感じられるのだという。え、そうなのか?
最後の高野ムツオの発言は第1部のまとめのような位置を占める。高野は社会性俳句から言葉派(飯島晴子・安井浩司など)への変化によって俳句が難解になった。それがニューウエイブになって俳句を大衆のもとに戻したのではないか、という。それをとらえたのが牧羊社の処女句集シリーズだった。前衛的な俳句のあり方から伝統的な俳句のあり方までさまざまな中で若い世代が活発化した。『新撰21』『超新撰21』についても、従来、新人の発掘は結社単位であったのが、結社主宰者の評価とは別の観点があることが示され、刺激となった。高野は種田スガル・清水かおりの作品について新鮮ではないと言った。島津亮・加藤郁乎に比べると…というのだが、それは比べる方が酷だろう。小川・高野の2人とも評価基準は異なるものの種田・清水の両者に対して否定的だったことは興味深いことである。それでは『超新撰21』の俳句プロパーの作者の作品についてはどんな評価になるのかが問われるところである。俳句自体のおもしろさとは何なのだろう。
高野が最後に「言葉としてどうなのかということが、俳句であるとかないとかいう議論の前に必要」「ひとつの価値観にまとまらないことを前提にしながら議論していく」と述べたのは同感であり、示唆的な発言であったと受け止めている。

シンポジウム第2部「君は定型にプロポーズされたか」は関悦史の司会、パネラーは清水かおり・上田信治・柴田千晶・ドゥーグルJ.リンズィー・高山れおなで進行した。
冒頭で関は「アフォーダンス」ということを述べ、ものが人に働きかけることを指摘した。たとえば、バットがあれば人はそれを振る。ボールがあれば人はそれを投げる。バットを投げる、ボールを振るということは普通しない。同様に形式(俳句)が人に何をさせるか、というのである。
けれどもこの観点を関自身がすぐに引っ込め、上田信治提出資料の「新撰」「超新撰」世代150人150句を中心に話が進行した。
まず、上田は「何も言っていない俳句」について述べ、好きな俳人は素十・爽波であり、「何も言っていないことを取り払ったあとの、うっすらとした感情」について語った。
続いてドゥーグルは海洋生物学者としての体験を述べながら、「事実ではなく真実」「科学研究ではできない側面」について語った。日本語でも英語でも成り立つものはあるが、言語に依存する部分も大きいので、当面は日本語で俳句を書くという。オワンクラゲの話など興味深かった。
清水かおりは「川柳は広くて、統一的な評価基準はない」と述べつつ、読み捨てられる膨大な川柳作品の中で『超新撰21』の形で作品を読んでもらえることは幸せだと言った。『超新撰21』の座談会や小論で自作品と前衛俳句との類似が指摘されていたが、前衛俳句を特に読んだことはない。川柳におけるリアリティについて、事実だけをとらえた日常的・報告的作品が多いが、精神的なリアリティというものがあるとも述べた。
関が「セレクション柳人」シリーズを読んだ印象について、「川柳の作品は一人の作者の顔に結晶しないが、清水作品は作者の顔が見える」と語ったのに対して、清水は「自分は〈私のいる川柳〉を書いているつもりだが、現代川柳の流れとしては作者が見えないといけないという点から解放されている」と答えた。
関悦史には「バックストローク」33号(2011年1月下旬発行予定)に寄稿してもらっており、彼の川柳についての見方についてはそちらを読んでいただければ幸いである。
柴田千晶は「詩」「シナリオ」「俳句」の三つのジャンルにかかわってきたことを体験的に述べながら、「テーマは同じ、いろいろな方法で表現したい」「現代にこだわって書いていきたい」と述べた。柴田のいう「創作の根源にある生きがたさ」については、すべての表現者が思い当たることだろう。
最後に、高山れおなは「メタ俳句」について、「昔はそういう意識はあったが、今は苦しまぎれ」「好きなのは芭蕉と蕪村」「自作は本歌取りと地口で写生句は少ない」「俳句ではなくて発句」などと語った。
パネラーの話が一巡したあと、上田信治が選んだ150句選をめぐって話が進行したが、もう長くなるので省略させていただく。

さて、昨年の『新撰21』と今回の『新撰21』の宴に参加して感じたのは、昨年が俳句だけの閉鎖的な議論だったのに対して、今年はジャンル越境の視点が少しあったので聞いていて居心地がよかったということである。会場には「詩歌梁山泊」の森川雅美が来ていて、宴会二次会で話す機会があった。「詩歌梁山泊」のシンポジウムでは現代詩・俳句・短歌の3点セットだったが、何も川柳を排除したのではなくて川柳に対しても充分好意的であることが分かった。
他ジャンルとの交流が安易には達成できないことは経験的にもよくわかっている。いずれにせよ、しっかりした作品を書いていれば、どこかで人の目に留まるということだ。『超新撰21』に清水かおりが入集したのも、作品そのものが存在してこそのことである。何も肯定的評価とは限らず、これから厳しい批判の目にさらされるとしても、それは句集を出した他の作者にしても同じことだろう。
Aというジャンルにおいておもしろいと言われている作品がBという別のフィールドでは古くさい陳腐な表現にすぎないことがある。だからこそ短詩型の諸ジャンルに対して常に言葉のアンテナを出しておくことが必要なのである。


次週金曜日は大晦日ですので、「週刊川柳時評」は休みます。1月7日から再開する予定です。では、よいお年を。

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