2010年9月17日金曜日

川柳木馬の30年

来る9月19日(日)、高知で「第2回川柳木馬大会」が開催される。2004年5月の第1回大会から6年ぶりに開かれることになる。大会の様子は事後報告されることになるだろうが、現代川柳の一角に重要な足跡を残してきた「川柳木馬ぐるーぷ」の30年の歩みを改めて振り返りながら、この大会に臨みたい。

高知の「川柳木馬」は昭和54年(1979年)に設立された。
高知では若手の川柳グループ「四季の会」というのがあったらしい。昭和53年秋、田中好啓、橘高薫風が高知を訪れ、海地大破・北村泰章らと歓談しているうちに「高知から新しい柳誌を出してはどうか」という話になったという。大破はすでに「いずみの会」(昭和42年結成)のメンバーとして、田中・橘高らと交流があった。「川柳木馬」は「四季の会」を母胎に昭和54年7月に創刊。創立理念は「川柳の文学性と柳論の確立」「陋習の打破と個性の尊重」であった。
創刊同人は山下比呂与・海地大破・久保内あつ子・土居富美子・西川富江・太田周作・村長虹子・北村泰章・古谷恭一・津野和代・石建嘉美。発行人・海地大破、編集人・北村泰章をはじめ古谷恭一、西川富江(会計)などの意欲と実力のある若い柳人たちの出発であった。

創刊号は残念ながら見たことがないが、私の手元にあるのは創刊1年後の第5号である。巻頭言「昨日・今日・明日」で海地大破はこんなふうに書いている。

〈 木馬ぐるーぷは創立一周年を迎えた。
「木馬」は、県内柳人に祝福されて誕生したとはけっしていえない。むしろ異端者として受難の一歩をしるしたのである。しかし私たちは主義主張を超越して、古川柳から現代川柳に至るまでの歴史を振り返り、明日の川柳を確立するために、作品の質の向上と理論の体系化をめざしてお互いに切磋琢磨し、川柳に対する社会通念を払拭していかなければならない。 〉

同じ号には「創立一周年記念座談会」が掲載されていて、発刊1年の時点での展望と反省がまとめられている。座談会の出席者は大破・富江・泰章・恭一の4人。ここでは、木馬創刊によって得られたものとして「他ジャンルとの交流ができたこと」「中央柳界との交流が深まったこと」が挙げられている。
ここで改めて問うことにしよう。「川柳木馬ぐるーぷ」は何を目指していたのか。

 1 川柳の文学性と柳論の確立
 2 陋習の打破と個性の確立
 3 他ジャンルとの交流
 4 中央柳界との交流

いずれも現代川柳にとって不可欠の理念であり、いまでも色褪せないテーマである。これだけ高い理念を掲げる川柳誌はそうあるものではない。「中央柳界との交流」という点に関しては、「川柳界」が崩壊あるいは曖昧化し、中央と地方という対立軸が相対化した現在では、状況の変化があるかもしれない。いまは、各地のグループがゆるやかなネットワークで繋がりながら、それぞれの川柳活動を進めていく時代である。

さて、理念は理念として、実際の川柳活動を担うのは人である。海地大破を中心にして、高校教師という教育者の顔をもつ北村泰章、無頼派の一面をもつ古谷恭一、それぞれ個性的というかツワモノ揃いというか、独特の存在感をもっていたのだ。
彼らは高知の地方作家というわけではない。大破は「川柳展望」の創立会員であったし、泰章は京都の「平安川柳社」を通じてのネットワークをもっていた。また、恭一は俳人・たむらちせいとの交流など俳人としての一面も持っている。文学的志向性が強いのである。

「昭和2桁生まれの作家群像」が始まったのは、第13号(昭和57年7月)からである。第1回は「酒谷愛郷篇」。寺尾俊平と泉淳夫が作家論を書いている。以下、第2回「村上秋善篇」、第3回「岩村憲篇」と続き、「木馬」誌の看板シリーズとなっていく。
この連載は、2001年に『現代川柳の群像』上下2巻にまとめられた。計52人の現代川柳作家の作品とそれぞれの作家について二編ずつの作家論がまとめられている。資料的にも価値の高いものである。このシリーズは現在の「木馬」誌では「作家群像」とタイトルを変えて続いている。

大破・泰章・恭一はまた次世代の川柳人を育てることにも成功した。「木馬」には清水かおり、山本三香子、高橋由美などの個性的な女流川柳人がいて、それぞれ存在感を発揮している。
たとえば高橋由美は「川柳木馬」83号(平成12年春)の巻頭言で、〈 三十も後半の私を捕まえて、『若い世代』などと銘打ってくれるな。これほどまでに老いてしまった世界をもっと嘆こう 〉とタンカをきり、全国の柳人の度肝を抜いたのであった。

2007年8月、北村泰章が急逝した。木馬同人はその悲しみを乗り越えて、発行人・古谷恭一、編集人・清水かおりという体制で再スタートしている。北村泰章時代にあった「新刊紹介」「いほり」(同人の動きを中心とした川柳界の情報)「声」(読者の感想)の欄を廃止し、誌面がよりシンプルになった。川柳の内実だけを問う姿勢が感じられる。

「川柳木馬」は2009年10月に30周年記念合併号を出し、現在創刊31年目に入っている。
30年を越えるこのぐるーぷに、もし「木馬精神」とでも言うべきものがあるとすれば、それは何であろうか。海地大破の言葉を二つ並べてみよう。

〈今後は、「木馬」が権威主義に陥らないよう戒めるとともに、明日に向かって大きくはばたくために、若い力を結集して、一歩ずつ確実に前進していきたいと願っているのである〉「川柳木馬」第5号

〈才能は好むと好まざるとにかかわらず必ず衰えていくものなのです。衰えと気づいたときには、スムーズに世代交替を図っていくことが川柳の発展に繋っていくのではないでしょうか。作品本位から遠くはずれた所での権力の座への執着は、川柳を後退させるばかりでなく、混乱を招く結果にもなります〉「創」第14号

この人には権力に執着することへの羞恥とでもいうべき反権力的志向がある。
また、古谷恭一も「川柳木馬」最新号(125号)の巻頭言で、次のように述べている。

〈『川柳木馬』も三十年という節目を越えてしまったが、文芸といえども、企業と同じく、人材の若返り、自己変革なしには、当然、衰退の一途を辿って行くように思われる。前例主義や世間体にこだわることなく、前身『木馬』と違った生き方も必要であろう〉

現在、「川柳木馬」を牽引している清水かおりは、「バックストローク」だけではなく、新誌「Leaf」の創刊同人となるなど、多方面で活躍している。
昨年、俳句界で話題になった『新撰21』(邑書林)は若手俳人のアンソロジーであるが、今秋にはその続編として『超新撰21』が刊行されることになっている。清水かおりは俳人たちに混じってただ一人川柳人として21人の中に選ばれている。そのことは、彼女の作品が川柳というジャンルを越えて広く短詩型文学の中でテクストとして読まれていく契機となるだろう。言っておくが、俳句作品と並んで、ことばの力だけで伍していくことにはさまざまな困難が伴うだろう。川柳界の中だけにいる方がよほど安全無事なのである。けれども、清水かおりの軌跡は何も川柳のためではなく、彼女自身の自然な道程なのである。

大破・泰章・恭一から清水かおりへと受け継がれる権威主義を嫌う木馬精神は、これからも現代川柳に一石を投じ続けていくことだろう。

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